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仙台地方裁判所 昭和46年(ワ)673号 判決 1979年4月23日

原告 青柳充

被告 株式会社本山製作所

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告(請求の趣旨)

1  原告が被告に対し雇傭契約上の権利を有することを確認する。

2  原告が被告会社広島出張所において就労する義務がないことを確認する。

3  被告は、原告に対し、金八万二九三六円及び昭和四六年四月以降毎月二五日限り、一か月金八万二九三六円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに第三項につき仮執行の宣言。

二  被告

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

一  原告(請求原因)

1  原告は、昭和四一年三月二一日、被告に雇傭され、試用期間を経て、CCD(コントロールバルブ・コストダウン)室に属して設計等の技術的業務に従事し、昭和四五年四月から製造部計器課に属して組立調整等の技術的業務に従事してきた。

2  原告の昭和四六年四月当時の賃金は、一か月につき金八万二九三六円であり、毎月二五日払の約定であつた。

3  被告は、原告に対し、昭和四六年三月四日に被告会社広島出張所への転勤を命じ、以後、原告が広島出張所において就労の義務あることを主張するとともに、原告が右転勤命令に従わなかつたとして同月二五日に原告を懲戒解雇したと主張し、翌二六日以降、原告の労務の受領を拒み、かつ、賃金の支払をしない。

4  よつて、原告は、原告が被告に対して雇傭契約上の権利を有する地位にあること、及び原告が被告会社広島出張所において就労する義務がないことの各確認を求め、あわせて被告に対し、請求の趣旨三項掲記のとおりの賃金の支払を求める。

二  被告(請求原因に対する認否)

請求原因1ないし3の事実は認める。

三  被告(抗弁)

1  解雇の意思表示

被告は、昭和四六年三月二五日、原告に対し、就業規則九四条一号、七条によつて、次項掲記の転勤命令拒否を理由に原告を懲戒解雇する旨の意思表示(以下、「本件懲戒解雇」という)をなした。

2  解雇の理由

(一) 転勤命令

被告は、昭和四六年三月四日、それまで本社製造部計器課勤務の原告に対し、同月三日付で広島出張所勤務を命ずる旨の転勤命令(以下、「本件転勤命令」という)を発した。

(二) 転勤命令の必要性

被告は、昭和四六年三月頃、本社と工場を仙台市に、営業所を東京都、名古屋市、大阪市に、出張所を札幌市、広島市、北九州市に、事務所を仙台市、新居浜市、徳山市、大分市、市原市、茨城県鹿島郡神栖町に有し、自動制御器及び暖冷房機器の製造販売を営んでいた。

被告が注文先から製品を受注するに当つては、注文先の技術者との専門的な打合せ、及び、被告の技術者から注文先の技術者に対するアドバイスが必要であり、かかる技術者(所謂セールスエンジニア)を介することなくしての受注は殆んどできない状況にあつた。そのため、被告は、従来から、広島出張所及び鹿島事務所を除くその他の前記営業所及び出張所に、一名ないし一〇名の技術者を配置し、他方、広島出張所及び鹿島事務所には、注文先からの申込があつた都度、本社から技術者を派遣して用を満してきた。ところが、広島出張所では、その得意先であつた三菱重工業広島造船所の化工機部門が東京に移転し、同部門からの大口受注が期待できなくなつたため、新規の得意先を開拓することが必要となつた。そのためには、同営業所に技術者の常駐が必須となつたばかりでなく、従来からも、同営業所に技術者が常駐していなかつたために注文先との技術上の打合せに円滑さを欠き、技術面のサービスが悪いとの不評を買つていたこともあつて、同営業所は、本社に対し、大学卒の技術者の配置を強く要請した。又、その頃、その他の事業所からも、それぞれ大学卒技術者の増員を要請してきていた。

昭和四六年二月一〇日の被告役員会において右増員要請が検討された結果、とりあえず広島出張所に技術者一名を増員配置することが決定された。その余の増員については、翌一一日及び一二日に開催された被告の営業会議(常勤役員の外、本社、工場の各部課長、及び、営業所、出張所の所長等が全員出席し、翌年度の事業計画を策定する被告の業務に関する最高機関である)において、引続き検討された。そして、右営業会議においては、昭和四六年度の販売目標を五二億六八〇〇万円と策定するとともに、納期遅れやクレームの絶滅を期する必要性が再確認され、その目標達成のためにも、取引先に対する技術的サービスを強化して信用を向上させることで、受注を拡大する方針が決定されるとともに、前記各事業所からの増員配置の要請が技術的サービス強化の目的で要請されていたことを考慮して、広島を含め合計一八名を増員配置することとし、特に、広島、大阪、九州の事業所については、その人員構成や取引先の需要等の関係からみて、高度の技術的知識、能力を有する者の増員、配置が不可欠であるとの結論に達したことから、同事業所には、特に、大学工学部卒の技術者をあてることが決定された。

(三) 人選の経緯

その後、被告では右の一八名につき、具体的な人選に入つたが、適任者の有無、その他の事情のため、とりあえず六事業所に一四名を増員、配置することとした。そして、広島に増員、配置されるべき一名については次のような理由から原告が最適任と考えられた。

(1) 広島出張所の場合は、前記のように、三菱重工業広島造船所化工機部門の移転に伴い、新規受注を開拓する必要があつたことに加えて、前記営業目標を達成するためには技術関係の業務に精通した者、―特に、被告の社内で「二八〇〇番」と呼ばれている自動調節弁の機種は、全社的にみても年間総販売額の約六〇パーセントを占めており、被告の主力製品といえるものであるが、広島出張所の場合には右機種が同出張所の年間総販売額の八七パーセントを占めているため、右機種に精通した者―の派遣が即戦力として特に要求されていた。

(2) これに対し、原告は、東北大学工学部を卒業しているばかりでなく、昭和四一年三月入社以来一貫して技術関係の業務に従事してきたこともあつて、技術者として取引先と直接に交渉、折衝してゆくに必要な知識、能力を充分に具えており、特に、被告が昭和四一年六月自社の主力製品たる自動調節弁の性能改善と原価低減とを目標として研究開発を進めるプロジエクト・チーム(「CCD室」と称した)を発足させた際、その室員九名の一人として加わり、主として自動調節弁の駆動部の改善を担当してその研究開発に当つた関係から、CCD室の研究開発の成果として開発された前記の「二八〇〇番」と呼ばれる機種の技術面に精通していた。

(3) ところで、CCD室は、右の「二八〇〇番」の開発によつて一応その目的を果したため、昭和四五年四月に解散し、一部室員のみが在庫管理プロジエクト・チーム(昭和四六年三月一〇日に同チームの仕事が生産管理部管理二課に引継がれた後は同課)に配属され、「二八〇〇番」を生産工程にのせ、量産化するための作業に従事したが、原告を含むその余は、他部門に配属され、特に、原告は、とりあえず製造部計器課に配属されて、自動調節弁の附属機器の組立調整―特に技術的な知識、能力を具えない中学卒業程度の者にでも可能な作業―を担当するにすぎなくなり、前記(2)のような知識、能力を充分に発揮できない状況にあつた。

(4) その反面、自動調節弁の附属機器は、従来機種の「一八〇〇番」関係のものでも、前記「二八〇〇番」関係のものでも共通であつたため、原告は、右の作業を通じて「二八〇〇番」の本体ばかりでなく、附属機器に関しても、充分な知識、経験を身につける結果となつていた。

(5) もつとも、被告に雇傭されている技術者の中には、自動調節弁及び附属機器につき原告と同等もしくはそれ以上の知識と経験を有する者もないわけではなかつたが、これらの者は、何れもそれぞれ工場の重要な地位にあり、余人をもつてこれに替えることができない事情にあつたため、被告としては、これらの者のうちから広島出張所転勤を命ずることはできない実情にあつた。

(6) なお、原告は、将来被告の幹部となり得る候補者の一人として、自己が取引先と直接、接触し、取引先が必要としているものを身をもつて知り、対外的折衝の経験を積むことが、本人のためにも、又、会社のためにも有益なことであつた。

(7) 原告には、仙台市から広島市へ転出するについても、個人的に何らの支障もないものと考えられた。

(四) 転勤命令の拒否

そこで、被告は、就業規則七条一項(「会社は業務の都合で従業員に転勤を命じ又は配置転換、職種、職階の変更を命ずることができる。」旨の規定)により、原告へ本件転勤命令を発令し、その後、転勤をしぶる原告に対し、昭和四六年三月六日から同月二二日までの間に前後六回にわたり、条理をつくして説得を重ねた。その過程において、原告は、二郷精記取締役総務部長、原告の直属の宮崎真一部長及び石垣貞夫課長、千葉敬次労務課長らに対し、(1)広島では経済的な面で生活できない。(2)六か月前から原告を転勤させるとの噂があつた。(3)仙台に居たい気持である、ということの外、(4)発令の内示をしなかつたことや、(5)原告がもと組合の執行委員をしていたことと本件転勤命令との関係を問題にして、被告の再考慮を求め、広島出張所への転勤を拒否した。これに対して、被告は、前項(1)ないし(7)掲記のように、本件転勤の業務運営上の必要性、原告の適格性を説明し、加えて、原告の述べる拒否理由の各個について、それが本件転勤命令を拒否する正当な理由となりえないことを次のように縷々説明し、原告の翻意をうながした。即ち、右(1)の経済生活上の言い分に対しては、仙台と広島との物価指数は殆んど同じであること、原告が広島で借家しても、被告では家賃の六〇パーセントを会社で負担することになつており、さらに、転勤すれば、規定により、原告には新たに金五五〇〇円の地域給が支給されるし、他方、原告が現在居住している所有家屋を他に賃貸することで家賃収入も見込まれること等から、原告が転勤しても仙台と同等あるいはそれ以上の生活を維持することが可能である。右(2)の噂の件については、本件人事異動は昭和四六年二月の営業会議等における前記増員、配置の決定に端を発し、しかも、原告がその対象者として選ばれたのは、さらにその後のことであり、六か月前に噂がでるはずはなく、仮にそのような噂があつてもそれが組合員間で噂されていたというにすぎない点からして、それに拘泥することは理に合わぬものである。又、右(4)の内示の件については、被告は、数年前から、人事異動に際しての内示は一切行つていない。従つて、原告に対してだけ内示しなかつたとか、今回の人事異動についてだけ内示しなかつたというわけではない。それに加えて、今回のように一八名増員配置することを決定しながら、本社に余剰人員がないため適任者が少く、一四名だけようやく選んだ経緯からして、予め本人の意向を打診したり、内示を行つたうえで発令するということは、事務手続上不可能でもあつた。それらを考えて、原告としても了承して欲しい。さらに、右(5)の点については、原告が元組合執行委員であつたことと原告の広島出張所への転勤命令とは何の関係もなく、被告は、人事異動に際して、組合員又はその執行委員経験者であつたことを考慮したことはなく、将来においても考慮するつもりはないことと、逐一理由をあげて十二分に説明した。

しかしながら、原告は、本件転勤命令のもつ被告の業務運営上の必要性と右命令の合理性を理解しようとせず、「とにかく行きたくない。」との理由のもとに、これを拒否する態度に終始した。

(五) 懲戒解雇条項の適用

以上のように、原告は、広島出張所への転勤を拒否し、被告の本件転勤命令に従わなかつた。原告の右行為は、被告の就業規則七条二項(「前項(注、転勤等の命令)の場合、従業員は正当な理由なくしてこれを拒むことはできない。」旨の規定)、九四条一号(本文要旨は、「下記の各号の一に該当する場合は懲戒解雇に処する。」旨、一号は、「正当な理由なく業務命令に従わないとき。」旨の規定)所定の事由に該当する。

四  原告(抗弁に対する認否)

1  抗弁1及び2の(一)の各事実は認める。

2  同2の(二)のうち、被告主張の本社、工場、営業所、出張所及び事務所の存在と営業内容は認め、その余の事実は争う。

被告が広島出張所及び鹿島事務所を除く営業所等に配置したと称する技術者とは、大学技術系卒業者や工業高等学校卒業者であるとか、営業所や出張所採用者で被告仙台本社工場において三か月程現場の組立等の技術実習を受けたうえで、セールスに携わつていた者の全てを含めて称されていたものであつて、工学的知識と経験を有する技術者とはいえない者が殆んどであつた。そして、このような者によつて被告の受注業務は十分にまかなつてきたものであり、受注業務に当つて専門的知識を必要とすることは稀であつて、このような稀な場合には本社から技術者を派遣しており、それで何ら支障は生じなかつた。従つて、原告のような大学工学部卒業後、設計開発等の技術的業務に従事した経験のある者は東京出張所に数名いるだけであつて、他の営業所には殆んど配置されておらず、又、このような者が仙台から他県の営業所に転勤になつた例は原告が入社して以来、昭和四六年に至るまで一名もなかつた。

又、三菱重工業広島造船所化工機部門が東京に移転すれば、東京営業所の受注高が増加し、広島出張所の受注高が減少する理であつて、東京営業所における人員の増加の必要は肯定しえても、広島出張所への転勤の必要性はでてこない。被告は、この点について新規受注の開拓の必要性を主張するが、これまで技術者のいなかつた広島出張所が随一の受注高伸び率を達成してきたことから明らかなように、受注増加のために格別技術者を必要とすることはないものである。

3  抗弁の2(三)の事実は争う。

前述のとおり、従前から技術者の配属されていなかつた広島出張所の売上高の増加からも明らかなように、技術者なしでも受注業務には支障がなかつたものであるから、右営業所に技術者がいなかつたことは転勤の必要性を肯定する理由となしえない。

又、被告の主力製品である「二八〇〇番」自動調節弁は、駆動部、ボデー部、付属機器の三つによつて構成されているところ、原告がCCD室で研究開発に従事していたのはそのうちの駆動部のタイアフラムトツプ部分にすぎず、自動調節弁の最重要部分であり、従つて自動調節弁の受注業務に最も必要とされるボデー部の設計開発には全く従事せず、原告は、右ボデー部分についての経験と知識は皆無であつた。

さらに、数ある付属機器の中で最も技術的に難しいのはポジシヨナーであるが、原告は、ニユーマチツクリレーという付属機器の組立に従事したにすぎず、これは簡単な作業であり、原告が右組立に従事していたからといつて付属機器についての知識と経験を有していたとはとうてい言えないものであり、被告には他に原告以上の転勤適任者が多数存在した。

なお、原告が昭和四五年四月に計器課に配転になつた理由は、被告の主張するような一週間程度で修得できる付属機器の知識と経験を得るためのものではなく、現場へ技術を浸透させることを目的としてなされたものであつて、役不足の状態にあつたものではない。

さらに、原告は、妻の両親の世話をするために仙台に永住し、かつ技術者として生活し続けてゆくという目的のもとに、被告に入社したものであつて、広島への転勤は右目的の実現をふいにさせるとともに、他方、仙台本社での組合活動ができなくなることによつて、労働者の団結と労働条件にとつて重大な損失をこうむらせることになるなど、本件転勤命令は原告に対し諸々の障害を与えるものであつた。

4  抗弁2の(四)のうち、被告が原告への本件転勤命令を発令し、その後、これに関連して原告と数次の交渉をなしたこと、及び、原告が右命令を拒否したことは認め、その余の事実は争う。

被告は、原告に対し、右転勤の必要性について納得のゆく説明はなさず、原告が転勤を承諾しない理由としてあげた、(1)仙台勤務の約束であつたこと、(2)転勤したのでは生活ができないこと、(3)不当労働行為であること、に対して誠実な回答をなさず、一方的に右命令に従うことを求めたにすぎない。

5  抗弁2の(五)の事実は争う。

五  原告(再抗弁)

1  労働契約違反

(一) 原告が被告へ入社するに至つた経緯

原告は、昭和三九年四月、東北大学工学部を卒業すると同時に埼玉県東松山市に工場を有するヂーゼル機器株式会社に入社し、研究開発に従事していたが、原告の妻幸子と結婚するに際し、同女が仙台にいる両親の世話を見なければならない立場にあつた等の理由により、仙台に永住する必要に迫られた。

そこで、原告は、右会社に右の事情を話したところ、同社は原告に対し、同社仙台営業所に転勤することを勧めたが、同社の意向が将来に於ては再び東松山工場勤務にし、技術屋の仕事をさせることであつたので、やむなく同社を依願退職し、仙台で技術屋として永住できる企業を捜して台糖フアイザー株式会社、ラサ工業株式会社等に打診したが、いずれも技術屋の勤務場所が東京になるとの条件であつたので断念した。

ここに至つて、原告は、学生時代に名を知つていた被告が、仙台市内に本社と工場を持ち、仙台市以外の地には小規模の営業所、出張所しかなく、他方、原告が技術者であることから営業所や出張所での受注販売業務に従事する可能性はないものと考え、従つて、被告であれば仙台から転勤することなく仙台に永住し、技術者としての業務に従事できると判断して、被告に就職することを決意した。

(二) 勤務場所、職種に関する合意の成立

原告は、昭和四一年一月、被告に対し、結婚その他の理由により仙台に居住したいので、ヂーゼル機器株式会社を退社し、仙台に本社工場のある被告に入社したい旨、手紙で申込んだ。これに対して、被告は同月原告に対し、原告を研究開発の技術的業務に従事する技術者として採用する意向を伝えた。そこで、原告は、被告の設計開発等の業務は仙台の本社工場でしかしていないことからして、被告によつて、仙台に居住し、技術者として勤務したいとの原告の申出が了解されたものと理解し、同年二月、被告の面接を受けて、被告に入社した。その面接の際も、被告の係員は、原告に対して、技術者として転勤があること等には一切言及せず、又、被告の就業規則を呈示することもなかつた。

このような経緯からして、被告は、原告からの、勤務場所を被告の仙台本社工場とし職種を技術者とする申込を黙示的にせよ了解したうえで、原告との間に、その旨をも内容とする労働契約を締結したものである。

従つて、原告に対する本件転勤命令は、従来の労働契約の内容を変更するものであるから、原告がこれに同意しない以上、その効力を生じない無効なものである。

2  労働協約違反

(一) 組合との事前協議約款違反

全国金属労働組合本山製作所支部(以下、「全金本山支部」という)は、昭和四五年一〇月二〇日、被告に対し、「会社は、全ての従業員の解雇、配転及び工場の増改築等の一切の労働条件の変更についてはその都度、組合と協議のうえ、実施すること。」との要求書を提出し、被告と数度の団体交渉を行つた。その結果、被告は、右要求を了承し、同年一一月三〇日、全金本山支部との間で、「組合員の労働条件の変更については、会社は労働組合と協議する。」との労働条件の決定に関する協定を結び、その旨の協定書を作成した。

もつとも、被告は、右協定書中の「労働条件の変更」は個々の組合員の労働条件の変更を意味するものでなく、「労働条件の基準の変更」を指す意味であり、その旨の対組合との確認書も存在すると主張しているが、右協定案を採択した全金本山支部の妥結大会の場においても「労働条件の変更」が「労働条件の基準の変更」であるというようなことには一言も触れられていず、それは、個々の組合員の労働条件の変更そのものを指すことが確認されていたものである。又、右確認書は、右協定書作成の後半年も経てから作成され、昭和四六年九月になつて公にされた文書であるが、その内容については、組合大会の審議決定を経たものでなく、かえつて、昭和四六年一一月一〇日の組合大会において、右確認書は手続的にも内容的にも無効なものと決議された。

従つて、被告が全金本山支部の組合員を転勤させる場合は、事前に、転勤予定者の氏名を全金本山支部に告知し、誠実に協議すべきであつたにも拘わらず、被告が全金本山支部の組合員である原告を転勤させる予定であることを全金本山支部に告知したのは、既に本件転勤命令を発令した翌日の昭和四六年三月四日であり、被告は、原告を転勤させることについて事前に、全金本山支部と協議していない。

しかも、被告は、全金本山支部が原告の懲戒解雇に反対する意思を有していたことを知りながら、同支部と事前に協議することなく、本件懲戒解雇を為すに至つたものである。

(二) 組合員本人との事前協議約款違反

全金本山支部は、昭和四二年一〇月二〇日、被告に対して、人事異動の事前協議制の実施を要求する書面を提出した。被告は、これを受けて、同年同月二八日、同支部に対し、「組合との事前協議をする意思はないが、遠隔地への異動については本人に対して事前に相談している」旨を書面で回答した。

従つて、右回答によつて、被告と全金本山支部との間には、遠隔地への転勤については被告は本人と事前に協議するとの協約が成立した。

しかしながら、被告は原告への本件転勤命令を発令する以前には、転勤について原告と相談ないし協議したことがなかつたのは勿論、原告に対して転勤が予定されている旨を告げたこともなかつた。

(三) まとめ

従つて、被告の原告に対する本件転勤命令は右各事前協議約款に違反しており、無効のものである。

3  不当労働行為

被告の原告に対する本件転勤命令は原告の正当な組合活動の故をもつてなされた不利益取扱いとしての不当労働行為であつて、無効である。

(一) 原告の組合活動

原告は、被告の従業員で組織する全金本山支部の組合員として昭和四二年から組合活動に従事し、同年秋に拡大執行委員(団体交渉委員)に選任され、職場改善、事前協議制を要求する被告との団体交渉に参加した。次いで、原告は、昭和四三年八月、全金本山支部副委員長に選任されて同支部の組合活動を指導するとともに、昭和四四年には八月の役員改選で副委員長に再任され、九月の全国金属労働組合宮城地方本部定期大会で同本部(以下、「宮城地本」という)の副委員長に選任され、以後、全金本山支部のみでなく宮城県下の全国金属労働組合の団結強化のために努力してきた。

全金本山支部は、結成以来昭和四三年春闘に至るまで一度もストライキをしたことがないという事実に象徴されるように、昭和四三年頃までは団結力の弱い組合であり、賃金等の労働条件も全国の同種企業と比較してきわめて低い状態におかれていた。

しかし、原告らの努力によつて、全金本山支部は、徐々に団結を強化し、昭和四三年春闘には組合結成以来初めてのストライキを行い、この時は敗北したものの、さらに、原告らが中心となつて組合活動を指導し、着々と次のような成果をあげ、地域組合の足枷から地域組合の牽引車、闘う組合へと変化して行つた。即ち、

<1> 原告らは、昭和四三年秋闘で職場の改善要求の掘り起しを行い職場交渉、窓口交渉、団体交渉等の方法で多くの成果をあげ、組合員の団結が強化されたとして宮城地本の中でも高い評価を得た。

<2> 昭和四三年年末一時金闘争では一八万円の要求を出し、スト確立までの指導をし、当時としてはかなり高額の一時金を獲得した。

<3> 昭和四四年春闘では九〇五七円の賃上げと初めての通勤費獲得に成功した。この賃上げはこれまでの額に比して大幅賃上げであるばかりでなく、宮城県内にも大きな影響を与え、その後の賃金引上げの土台となると同時に全国バルブ産業労働組合協議会(以下、「バルブ協」という)の牽引車としての役割を果したと評価された。

<4> 昭和四四年夏期一時金闘争において一九万円の一時金を獲得したが、これはバルブ協の業種別組織の動向をも決定的にし、全国的な影響を与えた。

<5> 昭和四五年春闘においては、のべ五七時間にわたるストライキを含む争議行為によつて、大幅な賃上げと会社側提案の二交代制勤務案を撤回させる等の労働条件の大幅な改善を勝ち取つた。

以上の他に、原告は、宮城地本の副委員長として同地本北ブロツクの指導を担当し、他支部との共闘の強化に努め、特に、被告の下請会社である精密機器工作所及びエンベロール工業の各組合支部の連帯と強化を指導し、合同会議を設定し、昭和四五年一月から六月にかけて精密機器工作所組合支部における労働条件引下げ団交拒否に対する労働基準監督署への提訴を指導し、その団体交渉にも出席して、会社側にこれらを撤回させて未払賃金を支払わせた外、同年夏期一時金闘争においては、全金本山支部及び右二組合支部の三支部が同時に闘争を行い、全金本山支部が妥結しても両支部支援の為に残業拒否等を続行する等の三支部の闘争を指導した。

(二) 原告の組合活動に対する被告の態度

(1) 組合活動に対する被告の態度

被告の組合活動に対する態度は、労働者の立場に立つて積極的に活動する者を嫌悪し、組合活動から排除し、他方では被告の意に沿う組合活動を行つた者については辞任後昇格させ役職につかせるというものであつた。

このような労務政策は昭和二四年の六五パーセントの人員整理の貫徹を通して確立されて来たものであつたが、この二四年の人員整理の総括を被告は、「会社を再建するには健全な組合を作つてもらう以外はない。結局経営者側の信念に屈して過激分子は会社を去つていつた。職業革命家等と称してアジに生きがいを見出しているような労働者は企業に不要であつた。この為本当に生産に喜びを感じる人、思想の堅い人が残り、良識ある組合が育成された。」とした。

被告は、この方針に基いて、昭和三六年には津田俊夫(初代委員長)、渋谷升男(書記長)らが組合を全国金属に加盟させて、その方針の下に活発な組合活動を行うや、社内報本山ニユースを用いて、「アカ攻撃」、「左翼分子の排除は組合運動の権利かつ義務」等と述べて思想攻撃支配介入を行い、昭和三九年春闘における時間外拒否闘争に対しても残業を命ずる業務命令を行い、昭和三九年八月に右津田及び渋谷が組合役員を辞任するや翌四〇年三月には組合活動をやりすぎたことを理由に見せしめとして転勤させた。

その後においても、被告は、全金本山支部等の組合活動に対して次のような露骨な多くの弾圧を行つた。

イ 昭和四三年春闘に関して

(イ) 被告は、第一回の団体交渉の席上で、「話し合いをするのに刃物をふりかざすとは何事だ」等と述べ、ストライキ権の確立、ストライキを嫌悪する態度を示した。

(ロ) 被告は、時限ストに際し、「ストライキに入る者はタイムレコーダーを押せ。」と業務命令を発し、タイムレコーダーの設置場所に部課長を配置し、さらにタイムレコーダーを止めてストライキ参加者に嫌がらせをした。

(ハ) 被告は、ロツクアウトを宣告していないにも拘わらず、各職場入口に、「スト参加者は職場出入りを禁ずる。」との貼紙を掲示し、私物を取り出すため組合員が職場に入ることすら阻止した。

(ニ) 被告は、ストライキ終結後、執行部の処分を目的とする懲戒審査委員会を開催し、就業規則違反があつた場合処分する旨を決定した。

(ホ) 被告の社長は、右懲戒審査委員会の席上で、「委員長、書記長を首にせよ。」と発言した。

(ヘ) 被告は、ストライキに対する報復処分として、能力給の査定に当り、委員長、副委員長二名、執行委員二名、書記長、拡大執行委員三名に対して、標準より一号低い査定をし、その中に原告も含まれていた。特に、原告の所属する職場の組合員九名のうち、右のような低い査定を受けたのは原告と書記長の小林実のみであり、原告は、入社二年目で査定対象者でないことからしても、右査定は組合活動を理由とする不利益処分である。

(ト) 被告は、昭和四三年秋の人事異動で、全金本山支部青年婦人部長阿部一男を千葉事務所へ転勤させ、同年春闘を指導した村松、小林を非組合員に昇格させるとともに、今迄の倍以上の組合員職制を作り組合対策を行つた。

ロ 昭和四三年年末一時金要求に対して、被告工場長(現社長)は、団体交渉の席上で、「オダツはね上り」と罵倒し、机上の灰皿が飛ぶほど机をたたき、嫌悪感を露骨に表わした。

ハ 同四四年春闘で全金本山支部が一律配分の賃上げを要求したのに対し、被告側(二郷部長)は、「そういう考え方は共産主義的考え方ではないか。」と主張した。又、被告は、この頃から、再び、組合執行部特に組合の方針を提案し中心的に活動する原告に対し、共産主義者、過激思想の持ち主という攻撃をするようになつた。

ニ 昭和四五年春闘に関して

(イ) 被告は、昭和四四年一二月に労務課を新設し、組合対策の専門課を設置した。

(ロ) 被告は、要求に対する回答日の翌日付で、各組合員宅に、「極めて不見識な要求……スケジユール闘争を組んでいます。こうしたことは一部の尖鋭分子が計画しているもので一般の従業員はただその声におどらされている。無謀な闘争は断固として排除しなければなりません……家庭の皆様も共に手をつないで会社のこの努力に御協力下さるよう御願い致します。」という内容の組合への支配介入の文書を郵送したが、右でいう「一部の尖鋭分子」とは原告を含む組合執行部を指していることは明白である。

(ハ) 当時の被告工場長(精密機器工作所長を兼務)は、精密支部の委員長と書記長に対して、「全金本山支部に巻き込まれないように。共産党員が二〇人ばかりいる。共産党員を入れない為にガードマンを入れる。」と発言した。

(ニ) 被告工場長(現社長)は、同年三月二七日の全金本山支部執行部三役との会合の場において、「組合つぶしには何億でもかける。ガードマンを入れる。会社のまわりを機動隊でかこんでロツクアウトをかける。君達が二交替制をのんでくれれば三役の銅像を作つてやる。」と発言し、恫喝と懐柔を行つた。

(ホ) 被告は、ストライキに対して、ガードマン(日本警備保障)を導入し、組合のビラをはがす等の争議行為の切りくずしを行うとともに、ストライキ参加者の行動を一々撮影する等の挑発と嫌がらせを行つた。

(2) 原告の組合活動に対する被告の態度

被告は、宮城地本の副委員長を兼任し、全金宮城地本の方針の下に闘う全金本山支部に変革させる為に活動してきた原告に対して、特に強い関心を示し、昭和四四、四五年度組合執行部の中でも危険人物として嫌悪し、マークしていた。

特に、被告は、原告に対し、昭和四三年春闘の際のストライキの指導に対する報復処分として能力給を一号の減給査定をなす不利益処分をなし、昭和四五年春闘に際しては、原告を一部尖鋭分子と中傷する文書を組合員に配布し、又、原告を共産党員と呼び、原告と組合員との分断を計つたり、同春闘の社長交渉の場で、被告社長自ら、「全金は思想にこり固つているからダメだ。」と発言して、全金の方針に従つて活動している原告を攻撃するに至つている。

ところで、被告と全金本山支部との間には、「組合四役(委員長、書記長、副委員長、書記次長)は、その在任中できるだけ転勤させない。」旨の協定が結ばれていたため、被告は、原告を仙台における組合活動から排除することができなかつた。しかしながら、昭和四五年八月に原告が同組合副委員長を辞任したことから、被告のこれまでの態度に照らし、被告は、次の人事異動で原告を転勤させ、組合活動から排除するであろうことは、社内で公然の噂となつた程であつた。

(三) 昭和四五年役員改選後の原告の活動等

全金本山支部の役員改選は従来立候補制になつていたが、現実には立候補者がなく推薦委員会の推薦で役員が決定されるのが慣例であつた。そこで、原告ら執行部は、昭和四五年度役員改選に際しても右慣例の推薦によつて全員留任する意向であつた。ところが、吉田成雄及び松崎茂(両者は、昭和四五年度の長期化した春闘の中で、ストライキは無意味と主張し、かつ、生産性向上委員会のメンバーであつた)は、右慣例の盲点をついて、現執行部と対立候補では勝目がないので誰も立候補していないのを確めたうえで、突如、立候補締切五分前に立候補の届出をなし、その後も原告らの立候補がないまま立候補受付が締切られ、右吉田、松崎が昭和四五年度全金本山支部役員に就任した。ところで、その後、原告は、右松崎らから協力を求められたが、右松崎らが原告を役員に加えることに反対したこと、及び右松崎らとの間で昭和四五年春闘に対する評価が全く異つていたことから、噂どおりに転勤させられる危険を覚悟の上で執行部に入らず、組合が以前の企業内御用組合へと変質するのを阻止するための活動をすることにした。

そこで、原告は、青年部運動を強化することによつて全金本山支部の御用組合化を阻止しようと努め、以後も執行部にいた時と同様の組合活動に専念し、さらには、全金精密支部の相談にも応じてきた。

原告は、昭和四六年二月に被告の営業会議の決定として、「即戦力となる一八名の営業所、出張所への転勤」が公表されたことで、全金本山支部をして、「人事異動に関して、昭和四五年春闘の責任を追及しないこと及び日常組合活動を理由に不当扱いをしないこと」を被告に申し入れさせた。しかるに、被告は、これら全金本山支部の申し入れを無視し、原告に事前の相談もなく本件転勤命令を通知した。そこで、原告は、即時、被告の石垣課長に対し、「転勤したのでは生活できないこと、及び本件転勤命令は不当労働行為である」旨を伝えて、これを拒否し、翌五日には労働契約の違反を拒否の理由に加えた。他方、原告の影響を受けていた全金本山支部青年婦人部は、転勤反対の態度を固め、組合執行部を追求し、転勤命令に対しては生活権で闘うとの執行部の答弁を引き出した。しかしながら、右執行部は、被告に対し、何ら具体的措置をとることなく、原告に対する本件懲戒解雇が行われるまで事態を放置し、その後においても解雇撤回闘争に取り組もうともしなかつた。ここに至つて、組合員有志は、「原告を守る会」(以下、「守る会」という)を結成して原告の解雇反対闘争を開始するとともに、同会への組合員の加入を働きかけた。

被告は、「守る会」の活動が始まると、緊急に主任以上の管理職を集めて、その加入勧誘者と加入者の調査を指示し、文書による報告を求め、加入者に対しては、入会の有無を詰問し、脱会を強要して、解雇反対闘争を弾圧した。

その後の昭和四六年八月の役員改選を直前にした七月上旬、被告の総務課長関川三男は、「組合役員の経験をしておくことは有益なことだ。」と述べて立候補するよう働きかけたり、選挙管理委員に選出された高成田吉彦の自宅に電話したりして介入した。同年八月七日の全金本山支部大会において、原告の解雇反対闘争を組合として取り組むべきとする立候補者がそれまでの執行部の押す立候補者を押えて当選し、委員長渋谷拓の新執行部が誕生した。ここに至つて、被告は、全金本山支部を分裂させ、第二組合を育成するための介入を行い、「原告は、アカで会社をつぶそうとしている。渋谷も同じだ。」等と原告らを攻撃するとともに、従業員の第二組合への加入を進めていつた。

(四) まとめ

これら被告の一連の行為は、被告が全金本山支部の組合運動を嫌悪し、その弱体化を計り、その一環として、原告を仙台における組合活動から排除するために本件転勤命令を発したものであつたことを明白に示している。

ところで、原告は、本件転勤によつて仙台での組合活動ができなくなるばかりでなく、広島出張所は従業員わずか五名程度であつて、組合活動は事実上無いに等しいのであるから、本件転勤命令は原告の組合活動をほとんど不可能にするものである。従つて、本件転勤命令は、原告にとつて組合活動上きわめて不利益な取扱いであるばかりでなく、組合の団結と労働条件の維持向上の為にも重大な損失を与え、組合の弱体化を招くものである。

従つて、本件転勤命令は、労働組合法七条一号、三号所定の不当労働行為に該当し、無効である。

4  人事権の濫用

すでに述べたとおり、本件転勤命令には業務上の合理的必要性がないうえ、原告はその適格者でもなく、他方、原告は、本件転勤により、組合活動が不可能となり、そのことは組合の弱体化へとつながり、さらに、原告は、妻の両親の世話をしなければならない立場にあり、そのため被告に入社し、入社後も仙台永住を予定して借金して家屋を建てる等の生活設計をしてきたものであつて、広島への転勤は原告及びその家族にとつて家庭生活上、経済上の破綻を意味するものである。被告は、これらの原告の不利益を熟知しながら、本件転勤命令を発令したものであつて、本件転勤命令は、人事権の濫用として無効である。

六  被告(再抗弁に対する認否)

1  再抗弁1の(一)のうち、原告がその主張の頃、東北大学工学部を卒業し、埼玉県東松山市に工場を有するヂーゼル機器株式会社に入社したことは認め、その余の事実は知らない。

2  再抗弁1の(二)のうち、原告が昭和四一年一月に被告へ手紙をよこしたこと、及び被告は、同年二月に原告を面接して原告を入社させたことは認め、その余の事実は否認する。

被告が原告から受取つた右手紙には、当時、原告がヂーゼル機器株式会社に在職中であることを明らかにし、加えて、「現在は、研究部ないし会社の方針、及び開発に対する信念、意欲(研究ないし会社の)が感じられず、技術的ポテンシヤルの向上が望めないこと、及び会社に漂う事勿れ主義(改善すべきことについても然り)な雰囲気に私自身の性格が一致し得ない」と同会社に対する不満の大きいことを詳細に述べていた。もつとも、原告は、右手紙で、「結婚及びその他それに付随する私事の都合から仙台に居れることが望ましい」とも述べているが、それ以上に、「私事」の具体的内容には一切言及しなかつたので、被告の関係者としては、原告のいう私事についての具体的な事情は一切窺い知りえず、原告が被告に採用を申し出でた動機はヂーゼル機器株式会社に対する不平不満にあると推測したものである。そして、その採用にあたり、原告と面接した被告の取締役総務部長二郷精記は、原告に対し、被告に転勤があることを告げた。それにも拘わらず、原告は、被告に対して、何等異議、苦情を申し述べたり、採用申込を撤回したりすることもなく、被告に採用されたものである。従つて、被告と原告との間に、原告の勤務場所につき就業規則と異なる特約のなされた事実は全くない。

3  再抗弁2の(一)のうち、全金本山支部が被告に対し、原告主張の頃、原告主張内容の要求書を提出し、交渉がもたれた結果、右両者間で、「組合員の労働条件の変更については、会社は労働組合と協議する。」との文言により労働条件の決定に関する協定書が作成されたことは認め、その余の事実は争う。

しかし、右協定は、組合員個々人の労働条件の変更を対象としたものではなく、労働条件の基準の変更について被告と全金本山支部とが協議することを定めたものである。即ち、被告は、右協定交渉の場において、右協定が組合員個々人の労働条件の変更を対象とする旨の要求を拒否し、被告作成の協定書案にも「労働条件の基準の変更について協議する。」旨明記してあつた。ところが、組合側出席者から、「基準という字句を入れなくとも、労働条件の変更についてすべて協議するという趣旨でなく、労働条件の基準の変更について協議するという趣旨であることは十分わかつているし、その趣旨について後日問題になるようなことがあつたときは、いつでも、我々がその趣旨について立証するから、協定文から基準という字句を抜いてほしい。」という要望が出され、会社側もそれを了承して、「基準」という字句を含まぬ協定文が完成したものでる。ところが、昭和四六年六月一五日に開催された労使懇談会の席上で文書外の了解事項ということが問題となつたことから、その直後に、右協定書についてもその趣旨を確認する文書を作成するということになり、数日後に、同月一五日付で、右協定書中の「労働条件の決定」は「労働条件の基準の決定」であり、個々の労働条件を指すものではない旨の「確認事項」と題する書面が被告と全金本山支部との間で取り交わされた。なお、前記協定成立後も、被告が特定の従業員の労働条件の変更について、全金本山支部と事前協議することなく行つてきたが、それに対して全金本山支部から何らの抗議を受けることなく経過してきたことは、右協定の趣旨が被告主張のとおりであることが明らかである。

4  再抗弁2の(二)のうち、被告が全金本山支部の昭和四二年一〇月二〇日付の原告主張内容の要求書に対し、同月二八日付回答書をもつて回答したことは認め、又、右要求書中に、「今は、遠隔地への異動については、本人に対して事前に相談しているところであり」という文言が含まれていたことは事実であるが、その余の事実は争う。

右回答書は、その文書それ自体によつて明らかなように、「現在はこのようにしている」という、その時点における事実関係を明らかにしたものにすぎず、全金本山支部に対して一定の約束をしたり、将来ともそのように行う義務を認めた趣旨のものでもない。被告は、その後、人事異動に関して、個人と事前に相談する取扱いを止めたが、そのことについて全金本山支部や、その組合員から何らの抗議もなかつた。加えて、そもそも労働協約については、労働組合法一四条により様式が定められているところであつて、往復文書のごときをもつて両当事者各別の書面に署名捺印するような形式の協約は労働協約としての効力を生じないものであり、被告と全金本山支部との間で、前記のような文書が往復されたからといつて、両者間に労働協約が締結されたことにならないことは明らかである。

5  再抗弁2の(三)の事実は争う。いずれにしても、被告としては、本件転勤命令が原告主張のごとき協約に違反するという非難を受けるべきいわれはない。

6  再抗弁3の冒頭の事実は争う。

7  再抗弁3の(一)のうち、原告が被告の従業員で組織する全金本山支部の組合員であり、昭和四三年八月に同支部副委員長に、昭和四四年には同副委員長及び宮城地本副委員長にそれぞれ選出されたこと、全金本山支部は、昭和四三年春闘においてストライキを行い、昭和四四、四五年の春闘において大幅な賃上げがなされ、会社側が二交代制勤務の提案を撤回したことは認め、原告が全金本山支部の組合活動を指導し、宮城県下の全金労組の団結権強化のため努力してきたことは知らない。

8  再抗弁3の(二)の(1)については、次で認める部分を除き、その余の事実は否認する。即ち、

(一) 同イの(ロ)のうち、被告が時限ストに参加する者に対し、タイムレコーダーを押すように指示したり、タイムレコーダーの設置場所に部課長を配置し、一定時間に至ればタイムレコーダーを止めるようにしたことは認める。しかし、これらは、時限スト参加者も、全日ストと違つて時限ストである限り、スト参加の時間帯以外は平常どおり就労すべきことは当然であるし、タイムレコーダーの打刻を行うべきことは当然のことである。しかるに、昭和四三年春闘の際には、時限スト参加者でタイムレコーダーの打刻を行わない者や、ストでもないのに所属長の許可なしに勝手に職場離脱をなす者が少なくなく、中には虚偽の休暇申請をする者もいた。そのため、被告では、右のように指示したり、部課長等にタイムレコーダーの管理をさせざるを得なかつたものである。

(二) 同イの(ハ)のうち、被告が原告主張のような貼紙をしたことは認める。しかし、それは、昭和四三年春闘のストライキの際、スト参加者が職場放棄をした後に職場で喧噪にわたる言動をなし、管理者や嘱託等の非組合員の就労の妨げとなつたために、これを防止する必要から行つた処置であつたが、その際も、組合員が私物の持出等の必要から職場に出入することは一切妨げておらず、自由に行いえた状態にあつた。

(三) 同イの(ニ)のうち、被告が昭和四三年春闘スト終結後、懲戒審査委員会を開催したことは認める。しかし、それは、前記(一)のように右春闘の際、タイムレコーダーを打刻しなかつたり、ストでもないのに所属長の許可なしに職場離脱をしたりする者が少なくなかつたため、それ等の企業秩序を乱した行為について審査するために開催されたものであつたから、企業として当然のことをなしたにすぎない。しかも、右の懲戒審査委員会においては、「一九年ぶりのストライキで、組合の執行部も研究不十分だつたし、一般組合員もいたずらに感情的な対抗心を燃やしたということもあり、一方管理職も不馴れでその取扱いや処置に適切さを欠くものがあつた。」として責任追及をしないこととし、今後のため、労使双方で反省する資料として、その審議経過を社内ニユースに掲載することとしたものである。

(四) 同イの(ヘ)のうち、被告が昭和四三年度の給与改定に際し、原告や小林実を含む従業員の一部に対し、能力給一号減の査定をしたことは認める。ところで、被告は、昭和四三年以前から毎年、給与改定に際して、従業員の過去一年間の勤務実績に応じて能力給の査定を行なつてきたものであつて、このことは昭和四三年に限つて行われたものでなく、ましてや、原告に対する査定が原告の組合活動の故になされたものでもなく、ひとえに原告の勤務実績に基づくものであつた。又、右査定によつて、当時の全金本山支部の執行委員一五名の中には、プラスに査定されたものも数名に及び、平準に査定された者も存在したのであつて、この結果からみても、右査定が組合活動を理由とする不利益処分でなかつたことが明白である。

(五) 同イの(ト)のうち、被告が原告主張の転勤を命じたことは認める。しかし、被告は、その際、阿部一男に転勤の必要性を十分説明して、了承を得てなしたものであつた。

(六) 同ニの(ロ)のうち、被告が原告主張内容の文書を従業員に配布したことは認める。しかし、組合の要求に対する被告の回答をまつことなく行われる計画スケジユール闘争のごときはいうまでもなく違法不当なものであり、従つて、文書自体によつて明らかなごとく、同文書に記載されているところは組合執行部や争議行為を非難中傷するものではない。

(七) 同ニの(ホ)のうち、被告が昭和四五年頃に日本綜合警備保障株式会社に依頼して、そのガードマンをして警備業務の一部を行わせたことは認める。しかし、これは、被告の従業員の守衛がいずれも高齢のため、広い工場敷地全体の警備、特に夜間の警備が手薄となつていたこと、守衛の若返りを計つたが適任者が得られなかつたこと等のために、約一年間試験的に行つた処置であつたもので、たまたまその実施が昭和四五年となつたにすぎず、全金本山支部の組合活動とは何等の関係もなかつた。なお、全金本山支部が古新聞にマジツクインクで見苦しく書きなぐつたビラを被告に無断で、被告の玄関、窓その他のありとあらゆる場所に無秩序に貼りめぐらしたため、非組合員らがやむを得ずこれをはいだ際、ガードマンが手伝つたことがあつた。しかし、これらの行為が右の状況の下で行われたことからして、組合活動を妨害したものということはできない。

9  再抗弁3の(二)の(2)のうち、被告が昭和四三年度の給与改定に際し、原告に対して能力給一号減の査定をしたこと、被告と全金本山支部との間には、組合四役の転勤に関して、原告主張の協定が結ばれていたことは認め、被告の社内で原告主張の噂がなされていたことは知らない。その余の事実は否認する。なお、原告に対する右査定のなされた理由は、すでに右8の(四)で主張したとおりであつて、原告の組合活動の故になされたものではない。

10  再抗弁3の(三)のうち、被告が昭和四六年二月の営業会議の決定として、即戦力となる一八名の営業所、出張所への転勤を公表したこと、被告は、原告及び全金本山支部に事前の相談をすることなく本件転勤命令を発令したこと、及び、原告が、転勤したのでは生活できないことや本件転勤命令が労働契約違反又は不当労働行為であること等を理由として、本件転勤を拒否したことは認め、その余の事実は争う。

昭和四五年の全金本山支部役員改選前後における組合内部の事情等を被告が知つたのは、本件発生後、相当期間が経過した後のことであつて、これらの事情と本件転勤命令とは何らの関連もない。

もつとも、被告は、本件解雇処分後、従業員の一部が就業時間中に、職場でビラ配布や、特定グループ(当時は、「守る会」とかその準備委員会ということは不明であつた)への入会勧誘等を行つていることを知り、管理職に対し、それぞれの職場でそのような職場規律違反行為が行われた事実があるかどうか、あるとすれば、何時、だれによつて、どのように行われたかを調査させるとともに、かかる職場規律違反行為を行わせないように注意するよう指示したことがあり、各管理職らも、その指示に従つて行動したが、その際、原告主張のように入会の有無を詰問したり、脱会を強要するようなことは一切行つていない。しかも、当時の全金本山支部の三役は、被告の総務部長からの問い合わせに対し、右の「守る会」とか、その準備委員会とかは全金本山支部とは関係がなく、組合活動でもない旨を右総務部長に回答しているところであつて、これらのグループは、その後においても、全金本山支部とは全く別個の存在であつた。従つて、右の「守る会」とか、その準備委員会に関することを、不当労働行為との関連において論ずることはできない。

なお、原告は、被告が昭和四六年七月の全金本山支部の役員選挙や第二組合結成に介入したと主張するが、そのような事実はない。もつとも、被告の総務課長関川三男が、かつて組合活動を行つた際の後輩らから、役員立候補の是非を相談されたのに対し、自己の体験に照らし、「役員として組合活動を行うことは、色々な意味で将来に役立つから、立候補してみたら良いのではないか。」という趣旨のことを述べたことがあつた。しかし、これらの言動は、被告の意を体して行つたものでもなければ、不当労働行為にも当らないことは、改めて論ずるまでもないところである。

11  再抗弁3の(四)の事実は争う。

なお、本件で特筆されるべき事情として、当時、原告が所属していた全金本山支部の関係者らの圧倒的多数が、本件転勤命令の正当性を認め、従つて、本件懲戒解雇処分はやむを得ないものであると認めていた事実が指摘される。

即ち、全金本山支部は、昭和四六年三月八日昼休み時間に開催した組合大会において、「原告の転勤に不当労働行為はない。」旨の決議を行つたばかりでなく、同月一七日にも同趣旨の再確認を行つたが、同月二九日の同支部執行委員が出先機関(支店、営業所等)の分会の役員と合同で開催した合同執行委員会においても、「原告のあげている転勤拓否の理由では納得できない。」という結論に達した。一方、全金本山支部の執行部は、本件懲戒解雇発令の翌日の昭和四六年三月二六日、被告へ右処分の撤回を申入れたものの、同日の組合大会で組合員の見解が対立し、会場が混乱するや、翌二七日の組合大会に「懲戒解雇撤回要求書を白紙にもどす」ことを提案し、この提案は過半数以上の組合員に支持され(賛成二一〇、反対一八九、白票七)、次で、同年四月六日の組合大会において、同執行部が原告と接触の上で出したところの、「これ以上解雇撤回闘争を進めることは困難」であり、「条件闘争を原告がけつた場合、機関としてはこれ以上関知しない」との執行部の結論と方針とが承認・可決された。同執行部は、同四月七日より八日にかけて、「守る会」の責任者に対し、同会への勧誘を中止するよう求めるとともに、同月一四日に、原告が条件闘争(懲戒解雇を解かせ、依願退職による円満退社をさせる闘争)への切り換えの提案を拒否したため、同月一九日に、大会決議により機関として懲戒解雇闘争に一切関与しないこと、及び、原告の組合員資格喪失に伴い同日付をもつて組合員名簿から原告を抹消する旨を告示した。

これら一連の事実は、当時、全金本山支部の組合員の大多数及び執行部が、被告の業務の実情や転勤の実例等に照らし、本件転勤命令の正当性を認めざるを得なかつたこと、それゆえに、本件転勤命令を正当な理由なく拒否した以上は、原告が業務命令違反という理由で懲戒解雇処分を受けてもやむを得ないと考えていたことを如実に示しているところである。従つて、被告の原告に対する本件処分は、いずれの点からみても正当であり、不当労働行為に該らない。

12  再抗弁4は争う。

第三証拠<省略>

理由

第一本件転勤命令と懲戒解雇の意思表示について

原告が昭和四一年三月二一日に被告に雇傭され、試用期間を経て、CCD室に属して設計等の技術的業務に従事し、昭和四五年四月から製造部計器課に属して組立調整等の技術的業務に従事してきたこと、被告が昭和四六年三月四日に本社製造部計器課所属の原告に対し、同月三日付で広島出張所勤務を命ずる旨の本件転勤命令を発令したところ、原告がこの命令に従うことを拒否したこと、そこで、被告は、昭和四六年三月二五日に原告に対し、就業規則九四条一号、七条を適用して、本件転勤命令の拒否を理由として原告を懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。

第二本件転勤命令について

一  労働契約違反(再抗弁1)について

一般に、労働契約においては、使用者は、労働者との間で、労働者から提供される労務について、勤務場所、内容、態様等を限定する特段の合意をしない限り、労働契約の趣旨の範囲内において、労働者に対し、勤務場所、労務の内容と態様等を具体的、個別的に決定してその労務の提供を命ずることができるものであり、労働者は、これに従つて労務を提供すべき労働契約上の債務があるものといわなければならない。

ところで、原告は、被告との間で、原告の勤務場所を被告の仙台本社工場とし、職種を技術者とする右特段の合意がなされた旨主張するので、この点について判断する。

1  原告が昭和三九年四月に東北大学工学部を卒業すると同時に埼玉県東松山市に工場を有するヂーゼル機器株式会社に入社したこと、及び、被告が昭和四一年二月に原告を面接して原告を入社させたことは当事者間に争いがなく、乙第一及び第三号証の各一、二に証人青柳幸子の証言及び原告本人尋問の結果を総合すれば、次のように認められる。

即ち、(1)原告は、ヂーゼル機器株式会社において、技術的研究開発の仕事に従事していたが、現在の妻幸子と結婚することになり、同女の両親との関係から仙台に転居することが必要となつた。(2)原告は、右事情を右会社に打ち明けたところ、同会社から仙台営業所への転勤を示唆されたものの、将来には再び東松山工場勤務となるとの見通しを知らされた。(3)そこで、原告は、同会社を退社する意向を固め、仙台において、台糖フアイザー株式会社、ラサ工業株式会社等を打診したが、いずれの会社とも、技術者の勤務場所が東京になるとのことであつたため、これらを断念し、結局、被告を選んだ。(4)そして、原告は、被告に対し、昭和四一年一月二三日付手紙で入社の希望があるので採用の可能性、採用条件及び被告の将来に対する開発面でのビジヨン等を知らせてほしい旨を伝えた。(5)原告は、右手紙の中で、現在、ヂーゼル機器株式会社に在職中であることを明らかにし、「入社以来の自分の生活内容及び将来の生き方を公私共に考えた結果、仙台にある企業に転職したいと思つている」旨を述べるとともに、その理由として、「イ、結婚及びその他それに付随する私事の都合から仙台に居ることが望ましい。ロ、現在は東北大学の先輩が多く種々教えを載く機会にめぐまれてはおりますが、新製品開発設計が業務であるにもかかわらず研究部ないし会社方針及び開発に対する信念、意欲(研究部ないし会社の)が感じられず技術的ポテンシヤルの向上が望めないこと及び会社に漂う事勿れ主義(改善すべきことについても然り)な雰囲気に私自身の性格が一致し得ない。」ことを明記した。以上のように認められ、原告の入社後の社内歴は、前記のとおりである。

2  他方、後記括弧内の証拠によれば、次のように認められる。

即ち、(1)被告は、原告からの前記手紙を受けて、原告に対し、取締役総務部長二郷精記をして、同人の私信の形式で、(イ)被告として原告を採用する意志があること、(ロ)被告における労働時間や給与等の労働条件、業務内容や従業員数の外、会社の配置について、本社を仙台に、営業所、出張所を東京、大阪、名古屋、広島、九州及び札幌に、駐在所を四国に置いているが、近く、千葉及び徳山に駐在所を開設する計画であること、被告の従業員約六〇〇名のうち、四九〇名を本社並びに工場に配置し、そのうちから技術部を四二名、研究部(材料課、機械課、電気課の三課)を二三名で構成して開発に当つているが、未だ充分でなく、更に強化する計画であること等と企業の現状等を素描した返書を出した。(2)被告は、その後の昭和四一年二月一二日、原告からの申出による被告仙台工場の見学を認めるとともに、その機会を利用して、右二郷らをして原告の面接を実施し、その結果、原告を技術者として採用する旨内定した。(3)ところで、二郷精記は、右面接の際、原告に対して、被告には、北は札幌から南は四国、九州まで営業所や出張所等があるから、事務系の人に比較すれば少ないとはいうものの、技術系の人々にも当然に転勤がある旨を説明したが、これに対して原告からの特段の反論もなく、又、原告が仙台に居住しなければならない理由等について特に説明がなされることもなく、面接は終了した(以上につき、乙第二、三二及び四二号証、証人二郷精記及び同千葉敬次(第一回)の各証言。なお、以上の認定に反する原告本人尋問の結果は信用しない。)。(4)被告は、その就業規則第七条で、「会社は、業務の都合で従業員に転勤を命じ、又は配置転換、職種職階の変更を命ずることがある。前項の場合、従業員は、正当の理由なくこれを拒むことはできない。」旨規定している(乙第六四号証の二)。(5)被告は、昭和三四年から昭和四五年末までの間に、若干名ではあつたが、必要に応じて、本社の技術部又は製造部の技術者に、東京、大阪、名古屋及び札幌の各営業所等へ、セールスエンジニア(技術者が営業マンとして活躍し、顧客と技術面でいろいろ打合わせをして、受注に結びつける業務を担当する)としての転勤を発令しており、特に、昭和四六年四月には、原告を含めた七名の本社勤務の技術者に対して、セールスエンジニア等として、東京、大阪、名古屋、広島及び九州の各営業所等への転勤を命じたが、いずれの場合でも、原告を除き、この命令を拒んだ者はいなかつた(乙第四〇、四九、五三及び五四号証、証人千葉敬次(第一回)、同二郷精記、同渋谷拓、同末永省一、同酒井順一及び同宮崎真一の各証言)。

3  そうすると、右1及び2の(1)(2)で認定した事実だけでは(右1の事実によれば、原告が被告に入社した動機、目的が仙台に住いを定めて技術者として働き続けたいというところにあつたことが認められるものの、そのことをもつてしても)、原告と被告との間の労務契約の内容が原告の提供する労務を被告の仙台本社工場における技術者としての業務に限定したものと認めることはできず、他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。従つて、本件転勤命令が労働契約に違反し無効のものであるということはできず、原告の再抗弁1の主張は採用できない。

二  労働協約違反(再抗弁2)について

1  組合との事前協議約款違反について

全金本山支部が昭和四五年一〇月二〇日に被告に対し、「会社は、全ての従業員の解雇、配転及び工場の増改築等の一切の労働条件の変更については、その都度、組合と協議のうえ、実施すること。」との要求書を提出したこと、その結果、同年一一月三〇日に右両者間で、「組合員の労働条件の変更については、会社は労働組合と協議する。」との文言により労働条件の決定に関する協定書が作成されたことは、当事者間に争いがない。

ところで、後記括弧内の証拠によれば、次のように認められる。

即ち、(1)全金本山支部は、昭和四二年秋から被告の人事異動について同支部との事前協議制の獲得に取り組み、被告に対し、同年一〇月に人事異動の事前協議制の実施等の要求書を提出したのを手始めとして、その実施を要求してきたが、その成果としては、昭和四三年一〇月に被告から、「被告は、従来から、組合の四役の転勤昇任については、組合活動に支障をきたさないよう特別の配慮を払つてきたが、今後は青婦部三役についても同様に取扱い、やむを得ずこれらの者に転勤昇任(主任以上)を命じなければならない事態に至つたときは、組合と事前に協議する。」旨の回答を受け、次いで、昭和四四年一一月二一日には、右両者間で、「会社は、企業合併、生産機種の転換、工場閉鎖、一部工場の休廃止、工場移転等に伴い、労働条件に変更ある場合は、事前に協議する。尚、組合活動に支障を生ずる面については特に配慮することは従前どおりである。」旨の労働協約が成立したものの、以上をこえる部分に関しては、人事権の専有を盾とした被告の拒否にあつて、その目的を達成できずに経過した(甲第二六、三九、四〇及び五二号証、乙第五一号証、証人渋谷拓、同中野七郎、同吉田成雄及び同二郷精記の各証言)。(2)ところで、全金本山支部は、昭和四五年一〇月二〇日、事前協議の対象を全職員の一切の労働条件の変更に拡大して、被告に対し、前記昭和四五年一〇月二〇日の要求書を提出したことから、被告との間で団体交渉をもつにいたつた。(3)被告は、右団体交渉の場においても、人事権の専有を盾にして右要求を拒否し、昭和四四年一一月二一日付右協約内容に沿つたもの以上の譲歩はできないとの態度をくずさなかつたため、全金本山支部も右要求の貫徹を諦めざるを得なかつた。(4)そこで、全金本山支部と被告とは、従業員個々の労働条件の変更ではなく、会社の全従業員或いは組合員の全体に関する労働条件の変更、即ち、「労働条件の基準の変更」については、両者で十分に協議するとの内容で労働協約を締結することを合意した。(5)ところが、その協約文のまとめ作業に入つた際、組合の執行委員松崎茂らは、被告から提示されたところの「労働条件の基準の変更云々」との協約文案について、あえて、ここに「基準」なる文言を使わなくてもその意味するものが右合意内容そのものを指すものであることは両者で十分に認識し、かつ確認しあつているところであり、組合側で一方的な拡大解釈はしないから、右協約文からは「基準」という文言を削除してほしい旨を要求した。(6)これに対して、被告は、右文言を削除すれば、協約そのものが、従業員個々の労働条件の変更についても事前協議をなす趣旨と拡大解釈される危険が生ずることを恐れて、その要求を拒んでいたが、その交渉に当つていた全金本山支部執行員から、若し、協約文から「基準」という文言を削除したことで問題が生じたときは、いつでも、右協約が前掲の「労働条件の基準の変更」について協約されたものであり、従業員個々の労働条件の変更についてはその効力を及ぼさないものであることを右執行委員が証明するので、ぜひ、協約文から「基準」なる文言を削除してほしい旨をくりかえし懇請されたので、結局のところ、その趣旨を了承して、これに応諾し、ここに、両者間で、「組合員の労働条件の変更については会社は組合と協議する。」との文言で協約条項が確定され、その旨の条項で労働協約書が完成され、成立した(以上(2)ないし(6)について、甲第三三、三四号証、乙第二四、二六号証の各一、乙第五〇号証、証人二郷精記、同宮崎真一、同吉田成雄及び同千葉敬次(第一回)の各証言。なお、以上認定に反する甲第四八号証、乙第二五号証、証人斎藤利美、同渋谷拓、同中野七郎及び同横沢尚志の各証言は信用しない。)。(7)ところで、被告は、右協約成立後の昭和四五年一月二一日に東京営業所勤務の藤本直毅を鹿島事務所勤務へ、同年六月二一日に東京営業所勤務の白石隆郎を仙台本社勤務へ、及び仙台本社勤務の西出好佐を札幌出張所勤務へとそれぞれ転勤命令を発し、同年一二月一日に仙台本社の材料課勤務の松崎茂(当時、組合書記長)及び同検査課勤務の佐藤勝亮(当時、組合執行委員)の両名を推進班(新設の係)に配置換をなし、又、昭和四六年三月三日及び同月二一日に原告を含む一四名の一般従業員の転勤命令を発したが、いずれの場合においても右配転、転勤について全金本山支部と事前協議をせずに発令し、そのことについて右組合から異議申立もなく、原告及び病気のため転勤取消になつた者以外の者は異議なくこれに応じて新しい勤務についた。(8)原告も本件転勤命令を受けた後、本件懲戒解雇を告知されるまでの間、本件転勤命令が全金本山支部との事前協議の手続に反している等の異議を申立てることもなかつた。(9)ところが、その後に本件懲戒解雇についての紛争が長期化の様相を示し始めたことから、被告は、昭和四六年六月一五日の労使懇談会の後に、全金本山支部執行部に対し、昭和四五年一一月三〇日付労働協約の労働条件変更に関する協議条項について、前掲約束に基づく証明を要求した。(10)そこで、全金本山支部執行委員長吉田成雄らは、同執行委員会の了解を得たうえで、昭和四六年六月一七日に、「昭和四五年一一月三〇日付の協定書一項の『労働条件の決定』は、『労働条件の基準の決定』であり、個々の労働条件を指すものではない。」旨の同月一五日付確認事項書を被告と取り交わした。(11)全金本山支部は、昭和四六年八月七日の定期大会において、執行部から付議された一九七一年度一般経過報告を承認したが、その報告の中で、「労働条件の決定に関しては会社の抵抗が強く、人事・配転の事前協議制がとれず、個々の労働条件の変更に対する歯止めが出来なかつた。」旨の報告がなされていた(以上(7)ないし(11)について、甲第五三号証、乙第四、一四、五〇及び五三号証、乙第二四、二六号証の各一、証人二郷精記、同宮崎真一、同吉田成雄及び同千葉敬次(第一回)の各証言。なお、以上認定に反する乙第二五、二七号証、証人渋谷拓及び横沢尚志の各証言は信用しない。)。

以上の事実によると、被告と全金本山支部との間で締結された昭和四五年一一月三〇日付労働協約中の労働条件の決定に関する事前協議条項は、従業員個々の労働条件の変更を対象とするものではなく、全従業員或いは組合員全体に共通する労働条件の基準の変更を対象とする労働協約であつたと認めることができる。もつとも、甲第三五、四八号証、乙第二五、二七号証、証人斎藤利美、同渋谷拓及び同中野七郎の各証言に原告本人尋問の結果によれば、(12)右の昭和四五年一一月三〇日付労働協約案が付議された全金本山支部の臨時大会において、原告が、「右の労働条件の決定に関する協約があれば、仮に、会社が組合との協議なしに労働条件の変更を命じてきたとき、そのことを協約違反として拒否してゆけるだろうか。」との趣旨の質問をしたのに対し、同組合の副委員長長柴惇夫は、「協約違反で闘える。」旨を答弁したこと、(13)前掲昭和四六年六月一五日付確認事項書は、全金本山支部の組合大会での承認を得たものでなく、むしろ、同年一〇月の組合大会において、右確認事項は組合として承認できない無効なものとの決議がなされ、その旨を被告へ通知したことが認められる。しかしながら、右臨時大会での原告と長柴惇夫との問答はひとえに組合内部の事情にすぎず、その事実をもつてしても、被告と全金本山支部との間で、前認定の経過によつて正式に締結された労働条件の決定に関する右労働協約の内容を左右できるものではない。又、前認定のごとく、右確認事項書は、すでに有効に成立していた労働条件の決定に関する右労働協約の内容を当初の合意されていた内容に従つて、その協定及び協定中の文言の意味を明確にした交換文書にすぎず、右文書によつて、右労働協約の内容が改廃されたものではなかつた点からして、全金本山支部組合大会における右確認事項書の無効決議によつて、右労働協約が原告主張の内容となるものと解することもできない。従つて、右(12)(13)の事実によるも、労働条件の決定に関する右労働協約についての前記認定を覆すことはできない。

そうすると、甲第三四号証によつては、被告と全金本山支部との間に、従業員の解雇、配転等の労働条件の変更について、被告は右組合と事前協議をなす労働協約が存在していたことを認めることはできず、他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

2  組合員本人との事前協議約款違反について

被告が全金本山支部からの昭和四二年一〇月二〇日付の人事異動につき事前協議制の実施を要求した書面に対し、同月二八日付回答書をもつて回答したことは、当事者に争いがない。

ところで、右当事者間に争いのない事実に甲第三九、四〇、五二号証、乙第五一、五二号証及び証人二郷精記の証言によれば次のように認められる。

即ち、(1)金全本山支部は、昭和四二年一〇月二〇日、被告に対し、人事異動の事前協議制の実施を含む一六項目の労働条件改善の要求書を提出し、書面による回答を要求した。(2)被告は、同年同月二八日、全金本山支部に対し、書面によつて右一六項目についての回答をなしたが、その中で、組合からの「人事異動の事前協議制の実施」要求に対しては、被告としては「実施の考えはなく、組合と事前に個人の異動について協議する性質のものではない。」旨回答するとともに、右に付言して、「今日、遠隔地への異動については本人に対して事前に相談しているところであり、組合に対しても発令と同時に通知しているところである。」旨、被告の見解を表明した。(3)被告は、昭和四四年一〇月頃までは、事実上、事前に本人と相談して転勤発令を為していたが、同年一一月二一日に全金本山支部との間で、「会社は、企業合併、生産機種の転換、工場閉鎖、一部工場の休廃止、工場移転等に伴い、労働条件に変更ある場合は事前に協議する。尚、組合活動に支障を生ずる面については特に配慮することは、従前どおりである。」との条項を含む労働協約が結ばれた以後は、転勤命令を為すに際して事前に本人と相談する取扱いを廃止し、事前に本人と相談することなしに幾多の転勤命令を発してきたが、この処理についてその当事者からは勿論のこと、全金本山支部からの異議申立を受けることもなく、円満に経過してきた(以上認定に反する証人中野七郎及び同横沢尚志の各証言は信用しない。)。

以上の事実によれば、被告の昭和四二年一〇月二八日付回答書中の人事異動の事前協議制の実施要求に対する右回答部分は、その要求を拒否しつつ、人事異動の実施に当つての処理状況は、事実上、本人と事前に相談して事を処理しているとの事実の報告を付言したものと解するのが相当であり、従つて、甲第四〇号証によつては、被告と全金本山支部との間に、人事異動については本人との事前協議を為す義務を被告に課した労働協約が結ばれたものと認めることができず、他に原告主張事実を認めるに足りる証拠はない。

3  まとめ

されば、全金本山支部ないし原告との事前の協議を経ることなく為した本件転勤命令が労働協約に違反し無効のものであるということはできず、原告の再抗弁2の主張はいずれも採用できない。

三  不当労働行為(再抗弁3)について

1  原告の組合活動について

原告が被告の従業員で組織する全金本山支部の組合員であり、昭和四三年八月に同支部副委員長に、昭和四四年には同副委員長及び宮城地本副委員長にそれぞれ選出されたこと、全金本山支部は、昭和四三年春闘においてストライキを行い、昭和四四年、同四五年の春闘において大巾な賃上げがなされ、会社側が二交代制勤務の提案を徹回したことは、当事者間に争いがなく、この事実に甲第一三、一五、一六、一八、三九、四〇、五四号証、証人斎藤利美、同早坂清吉、同渋谷拓、同中野七郎及び同辺見真の各証言、原告本人尋問の結果によれば、原告主張の再抗弁3の(一)の各事実を認めることができる。

2  昭和四五年役員改選後の原告の活動等について

甲第四八号証に証人斎藤利美、同三品邦男、同中野七郎及び同吉田成雄の各証言、原告本人尋問の結果によれば、次のように認められる。

即ち、(1)全金本山支部は、役員の選出について立候補制を採つていたが、現実には立候補する者がいなくて推薦委員会の推薦によつて役員を選出することが恒例のこととなつていた。(2)原告を含む執行委員らは、昭和四五年八月の次期役員改選に当り、全員が留任する意向であつたものの、自ら進んで立候補することが何となくおこがましく思うとともに、立候補しなくとも推薦委員会の推薦によつて次期も役員になれるものと判断して、立候補の届出をしなかつた。(3)ところが、当時の執行部の組合運動を批判の目で見ていた吉田成雄と松崎茂の両名が、組合の建てなおしを目論んで、昭和四五年八月以降の役員の立候補届出締切りの五分前に、委員長あるいは書記長としての立候補の届出をなし、その後は立候補がないままその受付が締切られてしまつた。(4)原告らは、右締切後に右両名の立候補を知り、直ちに、組合選挙管理委員会に対し、未だ立候補者が定員に達していないので、立候補の受付けを延長するよう要求するとともに、その候補者として当時の執行委員の中から執行委員長の渋谷拓、副委員長の原告らを予定したが、右延長の申入れは認められなかつた。(5)その結果、昭和四五年八月から、吉田成雄を委員長とする新執行部が発足した。(6)ここに至つて、原告は、右新執行部との間で昭和四五年春闘に対する評価を初め、組合運動のあり方についての見解を異にしていたこと等から、全金本山支部の役職から退き、新執行部の外にあつて、新執行部が会社寄りの行動に傾斜してゆくことを阻止するための活動に従事することを決意した。(7)そこで、原告は、全金本山支部の青年部運動を強化することによつてその目的を達しようと試み、精力的に取り組んだ。(8)このような折に、本件転勤命令及びこれに引き続く本件懲戒解雇が発令されたが、これに対して、全金本山支部が原告の望む方針での原告救済の闘争に入らなかつたため、原告は、以後、全金本山支部の青年婦人部或いは原告を守る会の人々と共に、被告に対する本件懲戒解雇反対闘争に取り組んできた。

3  組合活動に対する被告の態度について

原告は、再抗弁3の(二)及び(三)の被告の各行動を挙げて、被告が全金本山支部ないし原告の組合活動を嫌悪し、組合弱体化の意図を有していたと主張するので、以下、この点について判断する。

(一) 昭和四三年までについて

(1) 原告は、被告が昭和二四年の人員整理について、「会社を再建するには健全な組合を作つてもらう以外はない。結局経営者側の信念に届して過激分子は会社を去つていつた。職業革命家等と称してアジに生きがいを見出しているような労働者は企業に不要であつた。この為本当に生産に喜びを感じる人、思想の堅い人が残り、良識ある組合が育成された。」と総括したと主張し、甲第二号証中には右主張事実に符合する部分がある。しかしながら、証人二郷精記の証言によれば、甲第二号証は、産業研究所と称する団体が被告関係者等を取材したうえ、独自の立場で起草発行し、これを被告に売りつけた出版物であつたことが認められるところであつて、この事実に照らすと、甲第二号証をもつて被告の見解とみることはできず、又、同号証をもつて当時被告が右のような考えを持つていたと推認することもできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(2) 証人斎藤利美の証言によれば、津田俊夫(組合委員長)及び渋谷升男(書記長)らが昭和三六年に全金本山支部を全国金属に加盟させ、その方針の下に組合活動を開始したことが認められ、甲第三、四号証によれば、被告は、昭和三八年四月、五月にかけて、社内報本山ニユースにより、しきりに日本共産党や日本民主青年同盟に対する批判攻撃をしたことが認められる。しかしながら、右事実のみでは、当時、被告が全金本山支部の組合活動に関して支配介入を行つたと認めることはできず、他に、右支配介入の事実を認めるに足りる証拠はない。

(3) 証人辺見真の証言によれば、被告が昭和三九年春闘時の時間外勤務拒否闘争に対して残業を命ずる業務命令を行い、これに従わないときには就業規則違反で処分するという告示をなしたことが認められる。しかしながら、右業務命令がいかなる従業員に対し、いかなる状況下に発せられたものであつたか等の具体的事情について立証のない本件では、右業務命令の存在のみで、当時、被告が組合活動を嫌悪し、組合弱体化の意図を有していた事実を認めることはできない。

(4) 甲第四七号証、証人辺見真、同斎藤利美の各証言によれば、昭和三九年八月に津田俊夫及び渋谷升男が組合役員を辞任したこと、被告は、翌四〇年三月に、右両名を組合員のいない営業所に転勤させたことが認められる。ところで、原告は、右津田らの転勤は同人らが組合活動をやりすぎたことの見せしめとしてなされたものと主張し、甲第七四号証、証人斎藤利美、同辺見真の証言中には、右主張事実に符合する部分があるが、これらはいずれも各人らの推測であつて、にわかに採用しがたく、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。ところで、企業経営の必要上従業員の配転換えのため転勤命令を発するかどうか、発するとすればどの従業員を選択するかは、使用者の自由裁量に属するところであるから、転勤命令の意図が別のところにあつたとして、その効力を否定しようとする者は、その転勤命令が使用者の裁量権の範囲を超え、合理性を欠くものであることを認めさせるような特別の事情の存在を証明する責任がある。ところが、原告は、右津田らの転勤命令について、右特別の事情の存在に関しては何らの立証をしていない。従つて、右に認定の事実のみでは、当時、被告が右津田らの組合活動のみを理由とし、又は、組合の弱体化を意図して右津田らに対して転勤を命じたと認めることはできず、他に原告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

(二) 昭和四三年春闘に関する件について

(1) 甲第四二号証、証人辺見真の証言及び原告本人尋問の結果によれば、被告取締役総務部長二郷精記は、昭和四三年春闘第一回団体交渉の席上で、全金本山支部役員に対し、同組合が団体交渉に入る以前、即ち、要求書を提出した段階で、早くもスト権を確立していたことをとらえて、「話し合いをするのに刄物をふりかざすとは何事だ。」と発言したことが認められる。

(2) 原告は、被告が組合の時限ストに際して、タイムレコーダー打刻の業務命令を出す等によつてスト参加者に嫌がらせをしたと主張し、被告が右時限ストに参加する者に対し、タイムレコーダーを押すように指示したり、タイムレコーダーの設置場所に部課長を配置し、一定時間に至れば、タイムレコーダーを止めるようにしたことは、当事者間に争いがない。しかしながら、甲第二一号証に証人二郷精記及び同村松実の証言によれば、昭和四三年春闘ストは一九年ぶりのストであつたことから、労使ともに対応策にとまどいがあり、互にいたずらに感情的対抗心を燃やす結果となつたこと、そのこともあつて、時限スト参加者でタイムレコーダーの打刻を行わない者や、ストでもないのに所属長の許可なしに勝手に職場離脱をする者が少なからず存在したことから、被告は、これらの防止と従業員管理の立場から、前記業務命令等の措置をとつたことが認められるから、被告の右業務命令等の行動のみをとらえて、被告が右業務命令等をもつぱら時限スト参加者ないし組合への嫌がらせを目的としていたことと認めるには十分でない。

(3) 原告は、被告がスト参加者の職場への出入禁止の処置をとつたと主張し、被告が各職場入口に「スト参加者は職場出入を禁ずる。」との貼紙を掲示したことは、当事者間に争いがない。しかしながら、乙第四二号証に証人村松実の証言によれば、被告は、スト中でも職場では非組合員が就労していたことから、これらの者とスト参加者との間の紛争を防止するため、右の措置をとつたものであつたが、一切の出入りを禁止したわけではなく、その職場の責任者に断れば出入を許していたことが認められる(右認定に反する甲第二〇、四七号証、証人斎藤利美の証言は信用しない)。

(4) 原告は、被告がスト終結後、執行部の処分を目的とする懲戒審査委員会を開催し、就業規則違反があつた場合処分する旨を決定したと主張するところ、被告がスト終結後懲戒審査委員会を開催したことは当事者間に争いがないものの、右委員会が執行部の処分を目的として開催されたものであつた点については、これを認めるに足りる証拠はない。むしろ、甲第一二号証、乙第四二号証、証人二郷精記の証言によれば、被告は、右春闘の際、ストでもないのに所属長の許可なしに職場離脱をしたりする者が少なくなかつた等の就業規則違反行為が目立つたため、これらの行為者全般にわたつて審査すべく、懲戒審査委員会を開催したこと、しかるに、右の懲戒審査委員会においては、一九年ぶりのストで組合の執行部も研究不足だつたし、一般組合員もいたずらに感情的な対抗心を燃やしたということもあり、一方、被告の管理職も不馴れでその取扱いや処置に適切さを欠くものがあつたとして、責任追及はしないと決定したことが認められる。

(5) 原告は、被告社長が右懲戒審査委員会の席上で、「委員長、書記長を首にせよ。」と発言したと主張し、甲第四七号証、証人村松実、同辺見真の各証言、原告本人の供述中には、右主張事実に符合する部分がある。しかし、これらは、いずれも具体的でない伝聞(噂)による供述であつて信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(6) 原告は、被告がストに対する報復処分として、原告を含む組合役員に対し能力給を標準より一号低く査定し、組合活動を理由とする不利益取扱いをなしたと主張し、被告が昭和四三年度の給与改定に際し、原告や小林実を含む従業員の一部に対し、能力給一号減の査定をしたことは、当事者間に争いがない。しかしながら、乙第三三号証、証人二郷精記及び同村松実の各証言によれば、被告は、昭和四三年以前から、毎年の給与改定期毎に、従業員の過去一年間の勤務実績に応じて能力給の査定を行つてきたこと、被告は、昭和四三年度給与改定にあつても、従前どおりの基準で全従業員の査定を為し、その結果、全金本山支部役員関係では、一五名中プラス査定六、七名、マイナス査定五、六名となつたこと、右一号マイナス査定といつても、それは、能力給が標準昇給より一号低いということにすぎず、給与そのものは全体として昇給しており、減給というものではなかつたこと、被告においては、学卒者の能力、協力性、貢献度等は入社三年間はあまり変化がないとの予測等により、原則として入社後三年間は査定対象としないよう取扱つてきたが、例外的に、過去一年間の勤務実績が著しく優れていたとか、逆に劣つていた等、他との対比のうえで顕著な場合には、入社三年未満の者といえども査定対象者として処理してきており、昭和四三年度査定の時も、そのように処理された者が二〇名程いたこと、右組合執行部でも、当時、右査定をとりあげ検討したが、結局のところ、組合活動とは無関係の査定であるとの被告の説明を了承したことが認められる。以上の事実によれば、原告らに対する右マイナス査定の事実のみから、直ちにこれらがストに対する報復処分であつたとか、原告の組合活動を理由とする不利益処分であつたとの原告主張事実を認めることはできず、甲第一四、四七号証及び原告本人の供述中には、右主張事実に符合する部分があるが、これらは信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(7) 原告は、被告が昭和四三年秋の人事異動や昇格等により組合対策を行つたと主張し、被告が右人事異動で全金本山支部青年婦人部長阿部一男に千葉事務所への転勤を命じたことは、当事者間に争いがない。ところで、甲第二六号証、乙第五二号証、証人二郷精記の証言及び原告本人尋問の結果によれば、阿部一男は、右転勤については承諾していたこと、ところが、被告は、その後、全金本山支部から、青年婦人部長以下三役も組合執行部四役に匹敵する重要役員であるから、その転勤等についても執行部四役と同じく組合との事前協議を求める趣旨で、右転勤への抗議を受けたこと、そこで、被告は、同人が千葉事務所にとつて必要な人物であることを説明するとともに、組合の主張する青年婦人部三役の重要性にも理解を示し、以後、その中から主任以上への昇進や転勤をさせる必要が生じた場合には、組合執行部四役と同様に組合と事前協議をする旨の見解を表明し、右組合の了解を得たことが認められる。又、証人斎藤利美の証言によれば、被告は、昭和四三年春闘を指導した執行委員長村松実、書記長小林実を、同人らが右役員を辞任した後に、非組合員となる役職へと昇格させたことが認められるが、他方、乙第三七、四〇、四二号証、証人村松実の証言によれば、被告は、従来から、その個人の能力に応じて、元組合役員の中からも数多くの人材をみいだしては、主任、課長、部長へと昇格させてきたことが認められる。さらに、証人二郷精記の証言によれば、被告は、昭和四三年春闘後に、作業現場における従業員管理の適正規模、従業員の昇進の機会拡大、対ユーザー対策等から、多数の係長(組合員)を増員するとともに、それに伴い、主任(非組合員)を増員したことが認められる。以上の事実によると、まず、阿部一男の転勤の件は当時すでに解決済であり、次いで、小林実らの昇格の件も、同人らの組合役員を辞任後のことであり、かつ、被告の従来からの人材開拓の方法によつたものと推認できること、又、主任等の増員にしても、右認定の事情のもとでは、不合理な増員であつたとも断定できないことに照らすと、これらの事実をして、被告が組合活動を嫌悪し、その弱体化を目的として為したところの組合対策であつたと認めるには、不十分である。

(8) 以上の次第であるから、右(1)の第一回団体交渉席上での二郷精記の発言、右(3)の被告のスト参加者に対する職場への出入禁止の処置、右(4)の被告の懲戒審査委員会の開催の事実をもつて、直ちに被告が組合の弱体化を意図したものと即断することはできない。又、右(2)、(5)ないし(7)にみた原告の主張は、いずれも理由がない。

(三) 昭和四三年春闘後、同四五年春闘前に関する件について

(1) 乙第三三号証、証人二郷精記の証言及び原告本人尋問の結果によれば、当時の被告工場長(現社長)本山秀夫は、昭和四三年末一時金要求についての団体交渉の席上で、全金本山支部から一時金として一八万円を要求されたことから、組合執行委員に対し、「オダツはね上り」と発言したことが認められる。この事実によれば、本山秀夫の右発言は、当時同人の内心にはそれ相当の理由があつたとしても、団体交渉の場での発言としては配慮に欠けたものであつて、同人に組合ないしその執行委員に対する嫌悪感があつたと推薦されても仕方ないものといえる。しかしながら、前記第二の三の1で判示したとおりの、被告と全金本山支部とは、その後一時金要求について、組合としても当時としてはかなり高額と評価した一時金を被告が支給することで、交渉を妥結したとの事実を斟酌すると、被告において、右一時金交渉妥結後においても、本山秀夫の右嫌悪感に共鳴し続け、そのことが組合弱体化への意図へと転化し持続していつたとは認めることができない。なお、原告主張の、本山秀夫は、右発言の際、机上の灰皿が飛ぶほど机をたたいたとの点については、これに沿う原告本人の供述は信用できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(2) 甲第四七号証、乙第三三号証、証人二郷精記及び同斎藤利美の各証言、原告本人尋問の結果によれば、昭和四四年春闘の際の、組合三役と被告幹部との話し合いの席上で、執行委員長渋谷拓が、「年齢が同じであれば生活程度も同じであるから、学歴とか勤続年数は関係なく賃金も同じであるべきで、格差は考えるべきでない。」との趣旨の発言をしたことから、これを受けて、被告の二郷精記部長が、「それは共産主義的な考え方ではないか。」と発言したことが認められるが、右認定のやりとりでは、被告が組合活動を嫌悪していたとか、組合に対する共産主義攻撃を加えたとも認めることはできない。

又、原告は、被告が昭和四四年春闘の頃から、再び、原告を共産主義者ないし過激思想の持ち主と攻撃するようになつたと主張し、甲第四七号証中にはこれに符合する部分があるが、これは信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(3) 以上のとおりであるから、右(1)及び(2)でみた原告の主張は、いずれも理由がない。

(四) 昭和四五年春闘に関する件について

(1) 甲第四七号証に証人斎藤利美の証言によれば、被告は、昭和四四年一二月に労務課を新設し、組合対策等の労務対策の専門課を設置したことが認められる。

(2) 甲第一九、四七号証、証人二郷精記及び同斎藤利美の各証言によれば、被告が昭和四五年春闘の際、全金本山支部の要求に対する回答日の翌日付で、各組合員宅に、原告主張(再抗弁3の(二)の(1)のニの(ロ)記載)内容の書面を郵送したこと、被告は、右文書記載中の「一部の尖鋭分子」とは原告を含む組合執行部を指す言葉として使用したことが認められる。

(3) 証人早坂清吉の証言によれば、当時の被告工場長兼精密機器工作所長本山秀夫は、昭和四五年三月二三日頃、精密機器工作所労働組合三役との雑談の席上で、右三役の早坂清吉らに、「全金本山支部に巻き込まれないように。共産党員が二〇人ばかりいる。共産党員を入れない為にガードマンを入れる。」と話したことが認められる。

(4) 原告は、右本山秀夫が同年三月二七日の全金本山支部執行部三役との会合の場において、「組合つぶしには何億でもかける。ガードマンを入れる。会社のまわりを機動隊でかこんでロツクアウトをかける。君達が二交替制をのんでくれれば三役の銅像を作つてやる。」と発言し、恫喝と懐柔を行つたと主張し、甲第四七号証、証人斎藤利美及び原告本人の供述中には、右主張事実に符合する部分がある。しかしながら、これらは、乙第四〇、四二、四八号証に証人二郷精記の証言に照らして信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(5) 被告が昭和四五年頃に日本綜合警備保障株式会社に依頼して、そのガードマンをして警備業務の一部を行わせたことは、当事者間に争いがない。そして、甲第二〇、四七号証に証人斎藤利美の証言によれば、右ガードマンは、被告側の従業員と共に、組合の貼つたビラをはがす行為をなしたこと、被告は、宮崎真一製造部長らをして、右春闘中のスト行使時の構内デモの模様等を一々撮影させたことが認められる。他方、乙第四二号証、甲第二〇号証、証人二郷精記の証言によれば、被告は、右春闘の頃、一日四名ないし二名程の右ガードマンを会社警備のために導入したが、これは、当時、被告従業員の守衛がいずれも高齢のため、広い工場敷地全体の警備、特に夜間の警備が手薄となつていたこと、守衛の若返りを計つたが適任者が得られなかつたこともその原因であつたこと、被告の非組合員ら役職は、当時、全金本山支部組合員が被告に無断で、被告の建物の玄関のドアーから窓、構内の電柱と、ありとあらゆるところに、古新聞紙に色インキで見苦しく書いたビラを貼付けたので、やむを得ずこれをはいだ際、ガードマンもこれを手伝つたことが認められ、又、甲第二〇号証によれば、昭和四五年の春闘においては、ストを介して、被告と組合との間に、相当緊迫した情況がしばしば現出したこと、全金本山支部においても、被告側の行動を一々撮影していたことが認められる。

以上の事実によれば、被告のガードマン導入は、被告の主張する守衛の高齢化のみがその理由であつたのではなく、それとともに、昭和四五年春闘の激化に会社の守衛だけではまかないきれないとの危惧もあつてのことであつた推認できる。しかしながら、被告のガードマン導入の理由がそのようなものであつたとしても、右認定のような、導入したガードマンの人数、ストを介して労使間に相当緊迫した情況の現出等の事情、及びガードマンがビラをはぐに至つた情況等を考慮すれば、右ガードマンの導入そのものをもつて、直ちに、被告が全金本山支部の争議行為の切りくずしを計つたと認めることはできない。又、被告がスト参加者の行動を撮影した点についても、右労使間の紛争の緊迫情況、全金本山支部においても、逆に被告側の行動の一々を撮影していたことに照らすと、それらは、特段の事情のない限り、お互に情報収集の一環として為された行為であつたと解するのが相当であつて、本件においては、右特段の事由を認めるに足りる証拠はない。従つて、被告の右撮影行為をもつて、全金本山支部に対する挑発や嫌がらせであつたと認めることはできない。

(6) 以上の次第であるから、右(1)の労務課の新設そのものは、何ら不法・不当なものでなく、このことをもつて、被告が組合活動を嫌悪し、組合弱体化の意図を有していたと推認することはできない。又、右(2)の書面の郵送及び右(3)の本山秀夫の発言は、共に当時、被告が全金本山支部の活動及びそれがもたらす他組合への影響力について危惧していたことを推測させるところであるが、他方、右書面の内容、右発言の相手及び情況等をも合せ考慮すると、これらの行為をもつて、直ちに、被告が組合の弱体化を意図したものと即断することはできない。なお、右(4)及び(5)にみた原告の主張は、いずれも理由がない。

(五) その後について

(1) 原告は、被告が原告に対して特に強い関心を示し、昭和四四、四五年度組合執行部の中でも危険人物として嫌悪、マークし、又、被告社長自ら、「全金は思想にこり固つているからダメだ。」と発言して、全金の方針に従つて活動している原告を攻撃するに至つたと主張し、甲第一九、四七号証、証人早坂清吉、同斎藤利美及び原告本人の併述中には、右主張事実に符合する部分がある。しかし、これらは、乙第三七、四一号証、証人二郷精記の証言に照らして信用できず、他に主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(2) 原告は、被告が次の人事異動で原告を転勤させ、組合活動から排除するであろうことは、社内で公然の噂となつたと主張するが、右噂のみでは、直ちに、被告が原告を嫌悪し、組合活動から排除しようと意図していたことを認めることはできず、右主張は失当である。

(3) 原告は、被告が「守る会」についての調査を指示し、加入者に対して脱会を強要して、解雇反対闘争を弾圧したと主張し、被告が「守る会」の活動が始まつたのを知つて、管理職に対し、その加入勧誘者と加入者の調査を指示したことは、当事者間に争いがない。ところで、乙第四一号証、甲第四二号証、証人関川三男、同二郷精記、同中野七郎、同斎藤利美及び同熊谷春雄の各証言によれば、被告は、本件解雇処分後、従業員の一部が就業時間中に、職場内でビラ配布等により「守る会」への入会勧誘等を行つているグループの存在を知つたこと、そこで、被告は、全金本山支部に対し、右グループの行動と組合の関係を問い合わせたところ、同組合三役から、「守る会」等のグループと全金本山支部とは関係がなく、組合活動でもないとの回答を受けたこと、被告は、その後の調査で、「守る会」は社内ばかりでなく、外部からの指示で活動していることが判明したので、右活動を職場規律違反行為と断定するとともに、管理職に対し、それぞれの職場での「守る会」の活動の有無、有りとすれば、何時、だれによつて、どのように行われたかの調査と、かかる職場規律違反行為を行なわせないよう注意するよう指示したこと、この指示を受けた管理職は、直ちにその調査にあたり、その結果を従業員ごとの加入の有無、加入日、加入要請者名簿を作成し報告したが、そのうちの一部の者は、右調査に加えて、個々の加入者に対する脱会説得をなしたこと、このような被告の動きもあつて、その後、社内での「守る会」加入者が激減したことが認められる。又、証人吉田成雄及び同斎藤利美の各証言によれば、「守る会」は、原告の本件懲戒解雇後、全金本山支部が右解雇撤回闘争に立ち上がらなかつたことから、社内一部有志が社内外の同調者と手を組んで本件解雇撤回闘争のために組織したものであつたことが認められる。

以上の事実によれば、「守る会」の活動の開始、これに対する被告の調査行動等はいずれも本件転勤命令及びこれに続く本件懲戒解雇後に発生した、原・被告にとつて全く新しい出来事であり、かつ、「守る会」の活動は全金本山支部とは全く関係のないそれ自体独立した運動であつたといえるものであるから、これらの「守る会」に関する被告の行動をもつて、それ以前の本件転勤命令ないしは本件懲戒解雇当時、被告が組合の弱体化を意図していたとの事実を認めることはできない。

(4) 原告は、被告総務課長関川三男が昭和四六年七月の全金本山支部の役員選挙に介入したと主張し、右関川三男がかつて組合活動を行つた際の後輩らから役員立候補の是非を相談されたのに対して、自己の体験に照らし、「役員として組合活動を行うことは、色々な意味で将来に役立つから、立候補してみたら良いのではないか。」という趣旨のことを述べたことは、被告の自認するところである。そして、被告の右自認する事実に、証人関川三男及び同二郷精記の各証言によれば、関川三男は、由良博と八重樫友美との両名に対し、別々の機会に右趣旨の話をしたが、由良博とは、同人が工務課に入社してからの部下ないしは趣味仲間として付き合い、同人の結婚に際しては仲人を頼んでやる等の面倒をみていた仲であつたところ、たまたま昭和四六年七月頃同人が自宅を訪れての雑談中に取り交わされたものであり、他方、右八重樫とは仕事上で知り合つた者にすぎなかつたが、同年七月上旬頃の昼休みに、被告会社倉庫前で同人から呼び止められての雑談中に交わされた話であつたことが認められる。されば、関川三男の右発言は、その意図が何にあつたかはともあれ、個人としての見解と認めるのが相当であつて、関川三男の右発言をもつて、それを遡る本件転勤命令ないし本件懲戒解雇当時、被告に組合弱体化の意図があつたとの事実を認めることはできない。

又、原告は、右関川三男が昭和四六年七月頃、全金本山支部の役員選挙管理委員高成田吉彦の自宅に電話したりして右選挙に介入したと主張し、乙第一五号証中には、右主張事実に符合する部分がある。しかし、乙第一五号証は証人関川三男の証言に照らし信用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(5) 原告は、被告が全金本山支部を分裂させ、第二組合育成のための介入を行い、従業員の第二組合の加入を進めたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(6) 以上の次第であるから、右(1)ないし(5)にみた原告の主張は、いずれも理由がない。

(六) まとめ

以上判示したとおりであるから、被告が組合の弱体化を意図していたとの点については、証明がないものといわなければならず、又、被告が本件転勤命令ないしは本件懲戒解雇当時、原告を組合活動から排斥することを意図していたとの事実も認めることができない。

4  本件転勤命令の必要性について

被告が昭和四六年三月頃、本社と工場を仙台市に、営業所を東京都、京都市、名古屋市、大阪市に、出張所を札幌市、広島市、北九州市に、事務所を仙台市、新居浜市、徳山市、大分市、市原市、茨城県鹿島郡神栖町に有し、自動制御器及び暖冷房機器の製造販売を営んでいたことは、当事者間に争いがなく、この事実に、乙第九、三二、三五、三六、四〇及び五四号証、証人二郷精記、同千葉敬次(第一回)、同末永省一、及び同酒井順一の各証言によれば、次のように認められる。即ち、

(一) 被告の営業活動について、(1) 被告の製造、販売する製品中の主要なものは、液体や気体を取り扱う工場で流体の流れを遮断したり、流量の調節や圧力の希望値にコントロールしたりするために使用される弁(バルブ)類及びその付属機器という精密自動機器であり、これらの製品は、ユーザーのプラント(工場設備)ごとの使用条件によつて、プラントに設置される弁類製品の仕様(製造、材料等)を異にするものであつた。(2) 従つて、被告は、その受注活動に当つては、受注前から、ユーザーの設備計画に従つて仕様条件等をユーザーの担当技術者と折衝し、場合によつてはメーカーとして技術的な助言等を行いながら、ユーザーのプラントに応じた弁類等附属品の検討を進め、見積、入札に結びつけるような活動を必要とした。(3) ところで、被告のユーザーは、大手大企業が主であり、そのプラント建設には多額の投資を行い、プラントの効率的な運転により企業の維持を図つていたもので、その技術担当者には高度の専門的知識を有するものをあてていた。従つて、被告の営業活動に際しても、ユーザーの担当技術者と専門的折衝を進めてゆくためには、どうしてもプラントに対する基本的知識やプラントに使用される機器類についての専門的技術知識を備えた者を必要とした。(4) ところが、被告は、従来から、その営業活動を経済学部出身の大学卒業者を中心に行つてきたため、その者がユーザーとの間で専門的技術的打合せを行うことは困難であり、その為、営業所、出張所等の出先機関には技術者を配属させるよう努力してきたが、ユーザーとの折衝にこたえきれる技術者を配属させていなかつた営業所等の場合には、必要の都度、仙台本社、東京又は大阪営業所から技術者を派遣して処理してきた。しかしながら、この方式では、経費がかさむばかりでなく、時間的制約が加わり、ユーザーとの臨機応変な打合せに欠ける面が生ずることがあつて、その為に仕様の間違いを起したり、受注後の仕様変更が多発したり、クレームの発生をまねき、ひいては納期遅れを生じさせることもあつた。そして、これらのことは、被告にとつて、生産の能率低下並びにコストアツプをまねき、他方ではユーザーからの信用を失う原因となつていた。

(二) 広島出張所の状況については、(1) 広島出張所は、昭和四五年当時、三菱重工業広島造船所、同三原製作所、三井石油化学、興亜石油、帝人三原工場、横河電機広島工場等を主な受注先として営業しており、ユーザーに納入する製品の約八七パーセントがオートメーシヨン関係のもので、そのうちでも「二八〇〇番」調節弁(被告の総売上げの約六〇パーセントをしめる主製品)の製品需要があつた。(2) ところで、当時、広島出張所は、男性四名、女性一名の五名で構成していたが、うち所長を含む男性三名は文科系大学の、うち一名が商業高校の出身者で、女子一名は高校出身者であつて、技術者は一人も配属になつていなかつた。(3) そのため、従前から、広島営業所では、技術者の配属を要求していたものの、それが実現されないまま、まとまつた引き合いがある都度、大阪営業所、営業本部(東京)又は仙台本社からの技術者の出張を得て、受注交渉にあたり、受注額をなんとか伸ばしてきていた。(4) ところが、昭和四五年後半からの経済不況に加えて、広島出張所の技術的サービスの不足からくるユーザーの不安と、三菱重工業広島造船所の化工機部門が東京に移転したことも重り、広島出張所における昭和四六年度以降の受注見込みが前年度から大きく後退し、このまま推移すると同業他社の食い込みが一層増大して、同出張所の受注がじり貧となつてゆくことが危惧される状況となつた。(5) そこで、広島出張所では、従来の経済出身者による営業活動から、技術者の配置により、技術的なセールスに重点を置き、ユーザーの信用を増大して受注増加へと結びつけるような営業活動の質的な変革が急務と考えられるに至り、被告仙台本社に対し、オートメーシヨン関係(「二八〇〇番」製品)技術者一名の配属の要請をなすに至つた。

(三) そこで、被告は、昭和四六年度の営業方針について、同年二月一〇日に役員会議を、続いて同月一一日及び一二日に営業会議(役員の外、営業所、出張所の所長等によつて構成した)をそれぞれ開催して、当時広島出張所以外からの増員要請等をも含め検討した結果、(イ) 昭和四六年度の販売目標を五二億六八〇〇万円と定め、そのためにも納期遅れやクレームの絶滅を期する必要が再確認され、その手段としてユーザーに対する技術的サービスを強化して信用を増すことによつて受注を拡大する方針が決定され、(ロ) 右目標達成のため、広島出張所を含めた営業所及び出張所等の営業第一線へ仙台本社から一八名の技術者を含む従業員を転勤させて配置する、(ハ) その際、広島出張所については、従来からの要請を受けながらも技術者を配置していなかつたこと及び右(二)で判示したような同出張所の特殊事情等を考慮して、特に、大学工学部卒業の技術者一名をセールスエンジニアとして配置すること等を決定した。

以上の事実によれば、被告がなした、右一八名の技術者等の転勤を伴う配転の決定は、企業の運営上の必要からこれを決定したものであつて、合理的理由があつたと認めるのが相当である。

ところで、乙第四〇、五三、五四号証、証人酒井順一、同二郷精記、同末永省一、同渋谷拓の各証言に原告本人尋問の結果によれば、(1) 昭和四六年二月末までは、被告の営業所等の出先に、仙台本社工場で技術的業務に従事していた大学工学部卒業者をセールスエンジニアとして配転させることは非常に少なく、右当時で、右出先の技術系従業員四六名(大学卒業者二二名、工業高校卒業者二四名)中、四名に過ぎず、その他の大半が現地採用の上で仙台本社工場等での短期の技術実習を受けたにすぎない者で、右出先の営業を維持してきたこと、(2) 被告は、前判示の人事異動の実施に当り、広島出張所への技術者一名の配置と共に、同所長の九州出張所への転出を発令しており、同出張所においては実質的従業員数に増減がなく、又、その後相当期間にわたつて出張所長不在の状態が続いたことが認められるところではある。しかしながら、前判示の昭和四五年後半からの被告をとりまく経済環境等の変化、それを乗りこえるためには被告の出先に技術者の配置を必要とした事情、広島出張所長はもともと文科系大学の卒業者であつたとの認定事実に照らすと、右(1)(2)の事実をもつてしても、被告の人事異動の決定の合理性に関する前記認定を覆すことはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

5  人選の経緯について

乙第三二、三五、三六、四六、五三号証、証人末永省一、同二郷精記、同千葉敬次(第二回)、同石垣貞夫の各証言に原告本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く)によれば、次のように認められる。

即ち、(1) 被告は、その後、前判示の一八名につき、具体的人選を進めたところ、適任者の数等から、とりあえず東京、大阪、名古屋、広島、九州及び札幌の六出先に一四名を増員、配置することとなつた。(2) そのうちの広島出張所に関しては、前判示の同出張所の特殊性を考慮して、次のような理由から原告を最適任者として選択した。即ち、(イ) 原告は、東北大学工学部を卒業しているばかりでなく、昭和四一年三月入社以来一貫して技術関係の業務に従事してきたものであつた。(ロ) 特に、原告は、昭和四六年六月から、その後被告の重要な主製品となつた「二八〇〇番」調節弁開発のプロジエクトチームCCD室のメンバーとして、その開発研究に当り、駆動部、ボデイ部及び付属機器の三部から成る右調節弁のうち、主として駆動部の改善にとり組んだ。しかしながら、右調節弁はボデイ部と駆動部が合体して本体を構成し、互に関連する構造になつていたことから、自己の作業を進めるに当つても、他のグループの作業の進捗状況や開発成果について十分な把握をしていることが必要だつたため、CCD室においては、発足後約三か月間は連日のごとく始業時より三〇分ないし一時間かけて、各グループ合同の打合せを行い、その後も頻繁に合同打合せを行つて、各自が他グループの進捗状況や開発成果を十分に把握し合いながら作業を進めていたものであり、原告もこれに参加していた。(ハ) ところで、原告は、昭和四六年二月末当時、製造部計器課に属して組立調整等の業務に従事していたものの、その実力からして役不足の状態のもとにあつた。(ニ) 以上の点からして、原告には、広島出張所でのセールスエンジニアとして活躍するに十分な「二八〇〇番」調節弁についての知識と経験が備わつており、他方、現職場から原告を抜いても現職場に与える影響が少ないと考えられた。(ホ) もっとも、被告仙台本社工場の技術者の中には原告に匹敵、ないしはそれ以上に「二八〇〇番」調節弁等についての知識、能力を有する者も存在したが、それらの者を転勤させたときには原告の場合に比してその補充がむつかしい等職場に与える影響が大きかつた。(ヘ) 被告は、当時、原告が妻と幼い子供の三人暮しであつたことから広島への転勤が容易であると判断した。

以上のように認められ、原告本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は信用できない。

以上の事実によれば、被告が広島出張所への転勤の対象者として原告を選定したことに不合理なところはなく、一応の合理性を認めることができる。

(もつとも、企業がその業務上の必要から従業員の配置換えのために転勤命令を発する場合において、どの従業員を選択するかは使用者の自由裁量に属するものであつて、その裁量権の行使に格別不合理な点がない限り、その選択は妥当なものとして是認すべきであると解するを相当とするところ、原告主張の、(1) 原告が「二八〇〇番」調節弁の最重要部分であり、かつ受注業務遂行に最も必要とされるボデイ部の設計開発に全く関与せず、従つて、その方面の知識、経験は皆無であり、セールスエンジニアとして不適任であること、(2) 他方、被告の従業員の中には、セールスエンジニアとしての適任者が多数存在すること、(3) 原告が製造部計器課に配属されたのは、現場への技術の浸透を目的としたものであつて、役不足の状態にあつたものではないこと、(4) 及び原告は、妻の両親の面倒をみながら技術者として仙台に永住する目的で被告を選び入社したものであり、加えて、仙台において組合活動を行つており、仙台を離れることができないこと等の点は、仮にこれらの事実が存在したとしても、前認定事実と合せ考えると、被告が原告を広島出張所への転勤者として選択したことをもつて、右裁量権の行使に著しい逸脱があつたとは認めることができない。従つて、右原告主張事実の存否にかかわらず、被告の右選択は、やはり、一応の合理性があつたものと認めることができることとなる。)

されば、すでに判示したとおり、本件転勤命令の基となつた一八名の従業員の転勤を伴う配転決定が被告の業務上の必要に基づくものであつたことからすれば、本件転勤命令には相当の理由があると認めるのが相当である。

6  本件転勤命令に対する組合の対応について

後記括弧内の証拠によれば、次のように認められる。

即ち、(1) 被告は、原告に対する本件転勤命令と同時に、被告仙台本社工場勤務の技術者等一三名に対しそれぞれ東京、大阪、名古屋の各営業所及び九州、札幌の各出張所への転勤命令を発したところ、原告及び病気で赴任できなかつた一名を除くその余の一二名は、直ちにこれに応じて、それぞれの新任地へ赴任した(証人二郷精記、同末永省一の各証言)。(2) 全金本山支部は、右各転勤の発令前の昭和四六年二月二四日に、被告に対し、右転勤に際しては日常の組合活動を理由に不当扱いをしないようにとの要望書を提出したものの、それ以上に右個々の転勤に関して異議を申し立てる等のことは一切行わなかつた(甲第三七号証、乙第一二号証、証人二郷精記の証言)。(3) 原告は、本件転勤命令が不当労働行為である等の理由で、本件転勤命令を拒否し続け、本件懲戒解雇がなされた後は「守る会」等を拠り所として右解雇撤回運動を続けてきた(証人石垣貞夫、同千葉敬次(第一回)の各証言、原告本人尋問の結果)。(4) 被告は、数回にわたる説得にもかかわらず原告の翻意を得るに至らなかつたことから、昭和四六年三月二二日の懲戒審査委員会の席上で、全金本山支部執行委員長らに経過説明をしたところ、翌二三日に同組合から、原告の生活権を尊重して処分しないでほしい、本人に猶予期間を与えて、別の説得方策を考えてほしい旨の要請を受けた(乙第三二、三六号証、証人二郷精記、同千葉敬次(第一回)の証言)。(5) 一方、全金本山支部は、原告への本件転勤命令が発令された翌日の昭和四六年三月五日、本件転勤命令に不当労働行為は存在せず、従つて、「生活権」で闘つてゆくことで一致し、これを受けて、同月八日に開催された同組合大会において、生活権で闘う旨の右執行部案が決議された。(6) ところが、その頃から、不当労働行為を中心にすえようとする原告及びこれを支援するグループとこれを認めない組合執行部との間で軋轢を生じ、闘争方法について対立するに至り、その後、原告が金属労研に属し、本件転勤命令拒否闘争を利用して現執行部の追い出しを画策していることが明るみに出るに及んでその対立は深刻化していった。(7) ところで、右執行部は、原告に対する本件懲戒解雇が発令された翌日の昭和四六年三月二六日、被告に対して、右解雇撤回の要求書を提出したが、これを審議した当日夜の組合大会は原告が金属労研の方針のもとに行つている現執行部への不信を増大させる等の行動を批判し、その行動の排除を決議するよう求める組合員が出たことで会場が混乱してしまつた。(8) ここに至つて、右執行部は、このような状態で解雇撤回闘争及び一九七一年春闘を乗り切ることは非常に困難との判断のもとに、翌二七日の組合大会において、本件懲戒解雇撤回要求書を白紙に戻し、原告と金属労研とのつながりがはつきりさせた上で闘争を組むよう提案したところ、賛成二一〇、反対一八九、白票七の投票の結果、賛成者が三分の二に達しなかつたため、右執行部案は否決された。(9) その後、組合内の一部の者は、「守る会」結成へと進んだが、これに対して、組合執行部は、「守る会」の活動は組合と関係がない旨表明してきた。(10) 同月二九日に全金本山支部の出先機関の分会と執行部との合同執行委員会が開催されたが、そこにおいて、「原告があげている転勤拒否の理由は納得できない。」旨の結論を出した。(11) その後、右執行部は、原告と話し合う機会を持つたが、原告が従来どおり金属労研の方針のもとに行動するとの態度を変えなかつたため、これ以上、原告の為に解雇撤回闘争を進めることは困難との結論に達し、原告の円満退社を目標とした条件闘争に切り換えることを決意した。(12) 全金本山支部は、同年四月六日の組合大会において、本件懲戒解雇撤回闘争の件について審議した結果、従来の不当解雇撤回要求闘争を条件闘争(即ち、懲戒を解く闘争を行なう中で、任意退職ないし依願退職等への交渉を行なう)に切り換えること、原告がこれを拒否した場合は以後右問題について一切関与しない旨を決議した。(13) ところが、原告は、同月一四日、右条件闘争を正式に拒否した(以上、(5)ないし(13)について、甲第一三号証、乙第一六号証の一、二、乙第六号証)。

以上の事実によれば、全金本山支部執行部と原告及びこれを支援するグループとの間には、相当深刻な対立闘争関係があつたものと認められるものの、右執行部及び組合員の過半数以上の者は、原告らの意図に反して、原告に対する本件転勤命令及びこれに続く本件懲戒解雇が原告の組合活動を嫌悪することからなされたものとか、これらが組合の弱体化を目的とする重大な攻撃とは受け取つていなかつたと認めるのが相当である。

7  結論

以上のとおり、原告は、昭和四二年秋以来、組合の役職を歴任し、組合の活動上、相当な役割を果たしてきたものというべきであるが、他面、本件転勤命令の立案及び発令当時、原告は、執行委員等の地位にはなく、とくに顕著な組合活動をしていたわけでもなく、又、本件転勤命令には業務上の合理的必要性があつたことが一応首肯できものである。右事実とその他前記認定の各事実とを総合して考慮すれば、被告が本件転勤命令を発令したことは、原告が組合活動をしたことを嫌悪したためであつたとか、あるいは原告から組合活動の機会を奪うためであつたとか、ないしは原告を仙台から遠ざけることによつて組合を弱体化しようとして、組合の運営に対して、支配介入するためであつたとかを推断することは、困難というべきである。従つて、被告に不当労働行為意思があつたことについての証明は不十分であり、原告の不当労働行為に関する主張は採用できない。

四  人事権の濫用(再抗弁4)について

原告は、本件転勤命令に業務上の必要性がなく、その適格者でもなく、又、本件転勤により組合活動が不可能となり、さらには、転居により、生活上甚大な打撃を受けることになる旨主張する。

しかしながら、前判示のとおり本件転勤命令には業務上の合理的必要性があり、かつ、原告を選定したことにも不合理なところはみあたらず、一応の合理性が認められるところであり、他方、原告が広島出張所に転勤することにより、組合の活動が危機に陥り、組合が弱体化するに至るという事実を認めるに足りる証拠はなく、又、原告が広島出張所においては、仙台勤務時に比して十分な組合活動ができないとしても、原告が今後組合活動をするについて致命的な打撃を受けるとも思料されない。さらに、乙第三二、三四、三六号証、証人二郷精記、同千葉敬次(第一回)、同青柳幸子の各証言、及び原告本人尋問の結果によれば、次のように認められる。

即ち(1) 原告は、妻幸子と結婚するに当り、将来、同女の両親の世話をするため、被告への転職を実現し、その後、借金して宮城県宮城郡上愛子字松原一三の三の前住所地に自宅を新築した。(2) ところで、本件転勤が発令された当時、妻幸子の父親は六〇歳を越え、母親は五三歳前後に達していたが、ともに健康に恵まれ、原告夫婦とは別居し、借家住いをしていた。(3) とくに、右父親は、家具製作所(有限会社)の社長として活躍し、原告に対しては右借金返済について月々援助していた状況にあつた。(4) 一方、原告は、本件転勤命令に従えば広島で借家することになるが、被告が家賃の六割を負担すること及び新たに地域給を支給することを考慮すると、借家に伴う実質的負担額はわずかの額となり、加えて、留守の間、右自宅を他に賃貸するなり、両親に使用させるようにすれば、右実質的負担増額の問題は無視できる状況にあつた。

以上認定の事実を合せ考えると、原告が本件転勤により、仙台を離れ、右両親との家庭生活関係から切り離されることで負担する生活関係の不利益というものは、転勤に通常伴う不便、不利益の域を出るものではない。

以上の事実とすでに右三の4(本件転勤命令の必要性について)及び5(人選の経緯について)に判示したところを総合して考慮すれば、被告の本件転勤命令は、恣意的になされたものではなく、被告において、業務上の合理的必要性に基づく措置としてなされたものであるから、本件転勤命令をもつて、人事権の濫用と認めることはできず、無効とはいえない。従つて、原告の人事権の濫用に関する主張は採用できない。

第三本件懲戒解雇について

一  本件転勤命令後の当事者間の交渉について

乙第三一号証の二、乙第三二、三四、四二号証、証人二郷精記、石垣貞夫、同宮崎真一、同千葉敬次(第一回)の各証言に原告本人尋問の結果によれば、次のように認められる。

1  昭和四六年三月四日、原告は、所属長の石垣貞夫計器課長(以下、「石垣課長」という)から、口頭で、本件転勤命令の告知を受けたが、これに対し、(イ) 広島へ行つたのでは生活ができない。昨年暮に新築した自宅の建築資金の返済がある。(ロ) 不当労働行為(前期の組合副委員長であり、事前に何らの話もなかつた)であるから転勤は受けられないとの理由で、本件転勤を拒否した。

2  同月五日、原告は、石垣課長から、本件転勤命令の辞令を示されたが、前日の理由の外、さらに、「被告の取締役総務部長二郷精記(以下、「二郷部長」という)との間で、入社時に、原告を転勤させない約束があつた」ことを理由に加えて、右辞令の受領を拒絶した。

3  同月六日、原告は、二郷部長に面会し、本件転勤命令の理由についての説明を求めた。そこで、二郷部長は、原告に対し、その理由として、前記第二の三の4及び5で判示した内容の本件転勤命令の業務上の必要性と人選の経緯の概要を説明したうえで、ぜひ転勤するよう勧奨したが、原告の承諾は得られなかつた。

4  同月八日、二郷部長、石垣課長及び千葉敬次労務課長(以下、「千葉課長」という)は、原告を呼んで、本件転勤命令が被告の業務上の必要から決定され、かつ、原告が適任者として選定された経緯について、くわしく説明するとともに、原告の挙げる転勤拒否の理由について、次のように被告としての見解を披瀝しながら、重ねて広島へ赴任するよう説得したが、その承認を得ることができなかつた。

即ち、被告としては、(イ) 「広島では生活できない」との点については、仙台と広島との物価指数は同じ位であり、又、転勤に伴い借家することになつたとしても、その家賃の六〇パーセントを被告が負担することになつており、他に月々五五〇〇円の地域給が支給されること、及び広島勤務の間、自宅を他人に賃貸するなり、原告の妻の両親に貸与することを考えれば、広島への転勤のもたらす経済的負担はほとんど無視しうるものであること、(ロ) 当日、原告から出された、「六か月前に転勤の噂があつたこと、及び仙台にいたいから、転勤はいやだ。」との意見に対しては、被告で具体的に本件転勤を含む営業第一線への従業員の転出を決定したのは同年二月一〇日以降のことであつて、被告として右噂には責任がもてないし、「仙台にいたい」という個人的欲求ないし希望は、組織の中の人として、或る程度我慢することも必要であるとの見解を原告に表明した。

5  同月九日、二郷部長、石垣及び千葉両課長は、原告を呼び、重ねて広島への赴任を説得したが、説得は効を奏しなかつた。

ところで、右説得の際、二郷部長は、原告に対し、かつて原告が挙げた「入社時の転勤をさせない約束」の件について、入社に際して原告との間で交わされた手紙にも「転勤させないでほしい」とか、「転勤させない」というようなことには一言も言及されてなく、ただ原告からの手紙の中に、「結婚及びその他それに付随する私事の都合から仙台にいれることが望ましい。」と書いてあつたにすぎなかつたこと、及び入社の面接の時には、転勤がありうることを明言したことを挙げて説明したところ、原告は、「手紙のことも面接のこともそのとおりである」が、「とにかく私は行きたくない。仙台を離れたくない。」とくり返すばかりであつた。

6  同月一〇日、宮崎真一部長、千葉課長らは、原告を呼び、広島出張所の人的構成、ユーザーの規模内容、それに対する広島出張所のいろんな弱点などを織りまぜつつ、原告が赴任して活躍してくれるよう説得し続けたが、原告は、「それらのことは良くわかるけれども、行きたくない。仙台は思い出の場所だし、仙台を離れるのはとにかくいやなんだ。」ということをくり返すばかりだつた。そして、この日も、原告は、本件転勤の辞令の受領を拒否した。

7  その後、被告は、原告に考える時間を与えるため、説得を一時中断した。

8  同月一七日、二郷、宮崎両部長、石垣、千葉両課長は、原告を呼んで、原告の気持を聞いたが、原告の考えは変つていないとのことであつた。その折、二郷部長らは、原告の挙げる経済的な問題や噂の問題等について、前に述べたことを再度くり返して説明するとともに、「原告が組合の前執行部だつたからといつて特別に考える必要はないのではないか。今後は転勤を定期的にやつてゆく考えであるから、そのうちに、再び仙台に帰れるようになる。」ことを付言し、他に困ることがあるなら相談してくれるよう求めたが、これに対する原告の返事は得られなかつた。

9  同月二二日、二郷、宮崎両部長、石垣、千葉両課長は、原告を呼んで、さらに広島への赴任の説得を行なつた。その際、二郷部長らは、原告の挙げる拒否の理由が最終的には、(イ) 広島においては生活ができない。(ロ)六か月前から転勤の噂があつた。(ハ) 仙台にいたい。との三点のみであるか否かを確認したところ、原告もこれを認め、右の三点以外にはないと言明した。そこで、二郷部長らは、原告に対し、右理由についてはすでに再三にわたり説明してきたとおり、拒否の正当な理由に当らないと考えているので、広島への赴任を求めたが、原告が右以外で被告を納得させるに十分な理由を示すこともなく転勤拒否の姿勢をくずさなかつたため、原告に対するそれ以上の説得を断念した。

以上の事実によれば、被告が原告の挙げる本件転勤命令拒否の理由をもつてしては、業務上の合理的必要からなされた本件転勤命令を覆すだけの正当な理由となりえないと考えたことも、十分に首肯しうるところであつて、ゆえに、原告の本件転勤命令の拒否は、被告の企業秩序の維持に重大な支障を及ぼすものと判断せざるを得ない。

二  本件懲戒解雇に至る手続について

乙第三二号証、乙第六四号証の一ないし三によれば、被告の就業規則七条には、「会社は業務の都合で従業員に転勤を命じ又は配置転換、職種、職階の変更を命ずることがある。前項の場合、従業員は正当な理由なくしてこれを拒むことはできない。」と、同九四条前段及び一号には、「下記の各号の一に該当する場合は懲戒解雇に処する。但し、情状により論旨退職又は昇給停止、若しくは役位剥奪、降転職にすることがある。1 正当な理由なく業務命令に従わないとき」と、同九九条一項には、「懲戒は懲戒審査委員会の審査を経て、これを行う。但し譴責処分を除く。」とそれぞれ規定されていることが認められる。

乙第三〇、三二号証、乙第三一号証の二、証人二郷精記、同宮崎真一、同石垣貞夫、同千葉敬次(第一回)の各証言によれば、次のように認められる。即ち、(1) 被告は、昭和四六年三月二二日、原告への説得を断念した直後に、規定にもとづき原告を懲戒審査委員会にかけ、その意見を求めたところ、同委員会は、原告の本件転勤命令拒否につき、右は就業規則七条に違反し、同九四条一号により懲戒解雇が相当である旨の決定をなした。(2) 被告は、右決定の直後、全金本山支部から、(イ) 原告の生活権を尊重して処分しないでほしい。(ロ) 原告に考える猶予期間を与え、別の説得方策を考えてほしい旨の要望を受けた。(3) そこで、被告は、同組合に対し、すでに説得に全力をつくし、万策つきているので、組合からの説得を期待する旨を回答し、その後、組合あるいは原告自身からの何らかの反応を期待して、懲戒解雇の発令を一時保留した。(4) しかしながら、その後、組合及び原告から何らの連絡もなかつたので、被告は、昭和四六年三月二五日午後四時三〇分頃、原告に対し、本件懲戒解雇の辞令と三月分の給料及び四月分の給料の一部(三月二一日から同月二五日までの分)を交付しようとしたが、原告は、三月分の給料のみを受け取り、その他の受領を拒絶して退席した。

三  本件懲戒解雇の効力について

以上によれば、本件懲戒解雇は、原告の本件転勤命令拒否行為の情状に照らしてその裁量に過誤があるとはいえないと解すべきである(なお、本件懲戒解雇が不当労働行為を構成しないことは、本件転勤命令について説示したところと同様である。)。

そうすると、本件懲戒解雇は有効であるから、原告と被告との間の労働契約は、右解雇の意思表示がなされた昭和四六年三月二五日に消滅したものといわなければならない。

第四書証の真正な成立について<省略>

第五結論

よつて、原告と被告との間に労働契約が存在することを前提とする原告の本訴請求はすべて失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 石川良雄 木下重康 畑瀬信行)

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